塩素中毒
Chlorine Addiction-
シンガポール/2000/英語/カラー、モノクロ/ビデオ/44分
監督・脚本・撮影・編集・録音・ナレーター・製作:陳凱欣(タン・カイシン)
音楽:フィリップ・タン
提供:陳凱欣(タン・カイシン)
毎日1キロ泳がないと気がすまないというマルチ・アーティストによる、10章に渡るユーモラスな映像エッセイ。言葉遊びをふんだんに盛り込んだ早口のナレーションと、矢継ぎ早にたたみかける映像が洪水のように押し寄せてくる。これを体験するのは、シンガポールという特異な街の現在を頭から一気に浴びることのようであり、またその余韻はプールの温水に入ってた塩素が少しずつ身体を蝕んでいく危険な快楽にも似ている。
【監督のことば】本作は10本のオルタナティブ・ノンフィクション実験映画を集約した題名である。それぞれが完結し、独立した短編としても観ることができ、またそれぞれがつながりあった10章からなるエッセイというように捉えることもできる。より広い意味体系も思索することで、願わくば断片そのものよりも大きな結果が生み出されることを!“身長157cmだけど毎日平泳ぎ10×102m”のテーマは本質的には異なる視覚と聴覚情報の層をつなぐ。この“退行中作品”は“いくつかの深刻な問題”に自己を反映しながら声を大にして問う。
ここで浮遊したり、漂ったりしているのは(今ある)生と死、でその後は?:意味:不=存在:時間:地理:言語:芸術の為の芸術と議論の為の芸術:化学調味料と有害うまみ増幅剤:芽胞に優しく運動:と〜っても偉大なシンガポール・セール(どっち?):不安:机上の空論批判:飽かない状態:デジタルテクノロジー:低解像度:キャンプと鉄の膝:自己破壊の為のシナリオ書き:強迫観念、あこがれ、否=属すこと:非=幻想主義:反復、飽和、過剰:自己満足と矛盾:蒸発:冷酷に講議堂を支配する公務員であること、頭を滅茶苦茶にする芸術、オナニーとぐらぐら感:ピンぼけ、近視、あるいは単なるシンガポール人的ぼけ:結末の拒否、なぜ泳ぐか、でもいいんじゃない?なぜアートを作るか、でもいいんじゃない?についての問いである。批判、侮辱、賞賛などはぜひ kaisyng@yahoo.com まで。
陳凱欣(タン・カイシン)
1993年、シンガポールのUOB絵画優秀賞の「最も将来性のある新人アーティスト」に選ばれた。シェル国立芸術協議会奨学金を携えてスレイド校(ロンドン大学)およびシカゴ芸術学院で美術を専攻する。スレイド校からは美術の学士を取得。(首席で卒業)。生計をたてるため成人教育の機関で教鞭をとっているが、実は自分のアート作品を作りたくてしょうがない。彼女の作品は広く上映され、また出版された書物もある。1999年、短編作品が第42回サンフランシスコ国際映画祭のゴールデン・ゲート賞の実験映画部門で功績賞を受賞。実際のところは毎日1キロ泳いだり、野良猫と遊びながら“生きる意味”を探している。 |
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