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テヘラン、25時
Tehran, the 25th Hour
Tehran: Sa'at-e Bist-o Panj
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イラン/1999/ペルシャ語/カラー/ビデオ/20分
監督・撮影・脚本・編集:セイフラー・サマディアン
録音:ササン・タバコリ
製作会社:タスウィール・マンスリー・マガジン(ヴィジュアル・アーツ)
提供(日本・アジア):ショーレ・ゴルパリアン/スモール・トーク
〒227-0051神奈川県横浜市青葉区千草台34-18-306
Phone & Fax: 045-972-3394
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セイフラー・サマディアン
Seifollah Samadian
1954年、イラン西部のウルミエ生まれ。1969年に写真を始め、1978年にドキュメンタリー制作を始める。イラン革命後の20年間について、数々のドキュメンタリーを監督している。『The
White Station』『The World Cup '98』『On Iranian Film Industry』『Abbas
Kiarostami (Three Views)』などである。 |
サッカーのワールドカップ出場権を獲得するための最後のチャンス。イランがオーストラリアに逆転勝利した!テヘラン中の市民が沸いた。ほとばしる感情、遠慮ない喜びの表現は、これまで国外に紹介されてきたイラン映画では見ることが少なかった。我々はイランのことをまだまだ知らない。
【監督のことば】
1979年のイラン革命後、300万人余りのイラン人が欧米、カナダ、日本やオーストラリアに亡命した。
20年間、イラン・イラク戦争、国内の政治闘争、西側メディアの歪んだ報道のために、イランの都市のイメージは暗く、悲惨なものだった。ワールドカップの予選通
過によって初めて、イラン内外の多様なイラン人が団結し勝利を共に喜べたのだった。
11月29日、土曜日に、イランの長い歴史の中で、待ちに待ったその瞬間がやってきた。シナリオも監督もイラン人による『イランの素晴らしい土曜日』という題名の美しい映画が完成したのだ。その土曜日の午後、プル審判の笛がイラン=オーストラリア戦の終了を告げた瞬間、イラン中で歓喜が沸き上がりそれはその夜遅くまで続いた。
サッカーの芸術とはすなわち映画である。サッカーは監督、俳優、観客の数だけくり返される人間の歴史のシナリオなのだ。それらの数だけ結末があり、またそこから生まれる星の数程の謎もある。
謎といえば、それは私がこの年になって50回目のカンヌ映画祭に参加し、アッバス・キアロスタミ監督がパルムドールを受賞した時のことだ。あれはイラン人、特に革命後、国外に住まざるをえなかったイラン人への賞でもあった。なぜだか分からないがこれが初めてイランの人々の心をゆさぶった出来事のような気がする。それはコダダッド・アジジ率いるサッカーチーム及びイラン内外のバラバラになってしまったイラン人が、ありえないと思われていた共通
の民族的アイデンティティやルーツの存在を確信した瞬間だったのではないかと。
サッカーと映画はイランの人々の団結を生み、歴史上素晴らしい奇跡を起こした。『テヘラン、25時』はこの歴史的な一日を記録した短編ドキュメンタリーであり、今のイランの若者とサッカーを描いている。これは3年前にイランではじまり、ワールドカップ98が開催されたフランスで終わった、ある長篇映画のごく一部に過ぎないのだ。
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