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ジャカルタ・ストックショットNo.7
Jakarta Stock Shots: No. 7 (TRK - Jakarta Volunteers Team on Humanity)
インドネシア/1999/インドネシア語/カラー/ビデオ/19分

監督・脚本・撮影:ロン・プユンダトゥ
録音・編集:アリスウェンディ・ナスティオン
製作会社・提供:フォーラム・キタ
(Forum Kita)
Jalan Pondok Kelapa VA Blok C.8/8, Jakarta 13450 INDONESIA
Phone: 62-21-8643590 / Fax: 62-21-4354454
E-mail: forkit@dnet.net.id


ロン・プユンダトゥ
Ron Puyundatu


ウジュン・パンダン(元マカッサル)に生まれる。実際はミナハサ(北スラウェシ)の出身。ジャカルタ美術学院で演劇を学ぶ。1979年から83年、チルボンとバリを旅しながら伝統芸術や異文化交流を経験する。フォーラム・キタやJKB(ジャカルタ/インドネシア文化フォーラムとネットワーク)を設立。ジャカルタのゲーテ・インスティトゥート(ドイツ文化センター)と共催で映画イベントを企画。1999年9月にはジャカルタで「ハートムート・ビトムスキーのドキュメンタリー回顧上映」を予定している。1998年にインディペンデントの映画・ビデオ製作者兼監督となった。本作が初のドキュメンタリービデオ作品。現在進行中のドキュメンタリー企画『Early Morning Records』、『ジャカルタ・ストックショット』シリーズの続編、『The Ballad of a Sudanese mask dancer』『Manadotua: A Small Mountain Island』。

1998年11月13日(金)、ジャカルタ・スマンギ地区のアトマジャヤ大学構内で、民主化を訴えるデモに5千人から1万人が集まった。突然、軍が発砲を始めた。19人が亡くなり、500人近くが負傷した。
カメラはこの悲劇の音と映像を記録するが、監督はプロのニュースジャーナリストとしてではなく、アクティヴィストの支援者として撮影をする。なかでもTRK(人類社会のためのボランティアチーム)という、軍事暴力の犠牲者を支援するボランティア組織のNGOに焦点をあてる。1998年5月より学生運動と人権運動の仲間たちの活動を撮影してきた監督は、Hi8、デジタル1CCDや3CCDのビデオカメラを使って今までに100本以上の現場映像を撮ったという。
【監督のことば】

このドキュメンタリーを私に作らせたのは、1998年にジャカルタで本当に起こったことを知りたい、という思いだった。次の世紀をも変えていく、大きな政治変動だと思うからだ。
近年インドネシアは、人権、民主主義、環境問題などについての意識が高まるといった非常に基本的な変化を迎えている。従来の権力者は権威に奢り、大企業・軍隊・官僚といった柱に支えられ、そういった基礎的な変化の胎動を早くから察知できなかった。これは残念なことだ。
そして1998年5月に、大きな革命が起こった。それは実は既に、1997年にインドネシアとアジアを襲った経済危機から生じた、社会政治学の緻密なシナリオに描きこまれてあった。
私個人のことで言えば、映像記録しながらいろいろなことを学んでいったと言える。TRKの活動を、路上で暮らす子どもたちを、都会の貧民街を、学生運動を、そしてNGOの運動家たちの闘いを撮影した。
しかしこのドキュメンタリーで捉えられている映像が最重要なのだとは言えない。なぜなら、犠牲者が亡くなったとき、その叫び声は射撃音にかき消され、人の耳に届かなかったのだ。そこをTRKは犠牲者の無言の訴えに声を与え、政府の暴行を打ち破ろうとした。その試みは雲の上の、ささやくような唯一の希望だった。そしてTRKの若いボランティアたちは、イタ・マルタディナタやベルナルディノ・イラワンのように自らも犠牲者となるかもしれない危険を冒しながら、若者特有の明るさを失うことはなかった。
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