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[フィリピン]

1931年、タユグの灰と亡霊

The Ashes and Ghosts of Tayug 1931
Dapol Tan Payawar Na Tayug 1931

- フィリピン/2017/パンガシナン語、イロカノ語/モノクロ/DCP/115分

監督、脚本:クリストファー・ゴズム
ナレーション、製作:フェ・ハイド
撮影:チノ・デ・ヴェラ
編集:カーラ・オカンポ、エポイ・デイト
録音:ウィリー・アパ Jr.
音楽:ラン・キルリアン、ダレン・ヴェガ
配給:Sine Caboloan
www.sinecaboloan.wordpress.com

ルソン島パンガシナン州の町、タユグ。1931年、若きペドロ・カロサは搾取に苦しむ小作農のために立ち上がり、挫折した。現代に残るかすかな痕跡をたどり映像作家がその地を訪れるとき、ハワイから帰国し指導者へと成長する青年の姿、世を憂いつつ余生を送る老人の姿が残像のように立ち現れる。サイレント、フィクション、ドキュメンタリー、異なる時代と異なる映像表現が交錯し、忘れられた英雄の亡霊がモノクロームの映像に織り込まれてゆく。(ET)



【監督のことば】この映画の主題は、パンガシナン州タユグに今も残る傷だ。85年の歳月が流れても、タユグだけでなく国全体が、いまだ癒えない傷を抱えている。1930年代にそれが起きたとき、反乱は権力によって鎮圧され、非難された。蜂起の原因は、当時の政府によって黙殺された。タユグの反乱者たちは厳罰に処され、狂信者として切り捨てられた。

 現在、タユグの人々は、1931年にPNA(フィリピン・ナショナル・アソシエーション)の反逆者たちが燃やした街の灰の上を歩いている。死者の亡霊は、今でも彼らの背後につきまとう。悲しいことに、彼らにその出来事の記憶はない。あるいは、彼らは忘れることを選んだ。

 カロサとタユグの反逆者たちは、1930年代に権力者によって「犯罪者」の烙印を押されたが、60年代に始まった若い世代の作家や歴史家たちの再検証により、フィリピンの歴史に占める重要性を認められるようになった。彼ら若い世代の考えでは、タユグの蜂起は、ボニファシオが結成したカティプナン(スペインからの独立を目指す秘密組織)の反乱、パラリスの反乱(1762−65、パンガシナン)、ダゴホイの反乱(1744−1829、ボホール)といったフィリピンにおける民衆蜂起の歴史を語る上で欠かせない。

 この映画は、何らかの解決を目指すものではない。未解決の問題への関心を高めることを目的としている。。


クリストファー・ゴズム

アート教育者、映画作家。地元パンガシナン州バヤンバンのアートや文化に関するプロジェクトやイニシアティヴにも積極的に関わる。フィリピン大学で学び、2006年には韓国のアジアン・フィルム・アカデミーにも参加。作品はシネマニラ国際映画祭で高く評価され、これまで「Digital Lokal」部門において、フィリピン文化センター賞オルタナティヴ・フィルム・アンド・ビデオ賞(2005)、最優秀短編賞(2007)、イシュマエル・ベルナール若手フィリピン人映画作家賞(2008)、リノ・ブロッカ大賞(2009)、最優秀監督賞(2009)を受賞している。パンガシナン州の歴史、アート、文化を題材にし、プロデュース、監督、編集を務めた実験映画『Anacbanua(太陽の子)』は、最初のパンガシナン語の長編映画であり、第10回シーニュ・ド・ニュイ国際映画祭の「逸脱の映画」部門でシーニュ賞を受賞した。国を離れて中東で暮らすフィリピン人を描いたハイブリッド・ドキュメンタリーの長編第2作『Lawas Kan Pinabli(永遠に愛されて)』は2012年に公開された。本作は、第5回ケソン・シティ国際映画祭サークル・コンペティションNETPAC審査員賞を受賞し、第47回ロッテルダム国際映画祭でプレミア上映された。また、第41回ガワド・ウリアンで最優秀脚本賞も受賞している。東南アジア映画ラボとベルリナーレ・タレンツに参加。制作中のパンガシナン語の長編映画『Ilikdem Mo So Matam(目を閉じて)』は、ソウル・フィルム・コミッションからスクリプト・デベロプメントの助成を受けている。