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[インドネシア]

私の家は眠りの中に

This is My Home, Come the Sleeping
Om Pius, "Ini rumah saya, come the sleeping..."

- インドネシア/2019/インドネシア語/カラー、モノクロ/デジタル・ファイル/81分

監督:ハラマン・パプア
撮影:アロイシウス・ラハワダン、ベルナルド・コテン、グラール・アグリヤノ・スマントリ、マハルディカ・ユダ
編集:マハルディカ・ユダ、シャイフル・アンワル
音楽:マンベサック、ブラック・ブラザーズ
製作:ユキ・アディティヤ
提供:milisifilem
www.forumlenteng.org

生活の糧として定着しているクジの番号予想。ピウスおじさんもまた、毎日黙々とクジの番号を組み合わせるのが日課だ。そして、頻繁に起きる停電の合間だけ、数字を書く手を休め、ポツリポツリと自分自身のことを語る。平穏そうな生活の中には、今でも森が破壊され続ける現実、故郷の村を追われた惨劇の記憶とパプアの歴史がうっすらと漂っている。原題は、ピウスおじさんが、監督たちを家に招き入れる時に口にした言葉。(WM)



【監督のことば】現実を夢にする、または夢を現実にするのは、シネマの誕生時から続いてきた映画的な表現方法だ。映画は、我々が日常生活(現実)ではとらえることができない物を見せることができ、「リアルさ」を提示するために、映画言語を使ってさまざまな可能性を拓いてきた。私たちが経験している社会問題についてのさまざまな考察を提起するため、日々の単純な出来事を分解する。私たちはこの映画で、ピウスおじさんの日常から、「現実」を通して「リアルなもの」を見せようとしている。

 オランダの植民地時代から今までの歴史、およびパプアの人々に対する暴力の歴史の影響についてどう考察すべきか? それは私たちすべてが案じている大きな問題だ。どうしたら記憶を通して、パプア人の日常となったこの問題に対する別の見方を提示できるのか? パプアは往々にして、貧困や教育の不平等、天然資源にエキゾチシズム、伝統的かつ原始的な生活といった観点からのみ語られることが多い。

 パプアの近代化の促進と失敗のみを見ることは、パプア人を単なるモノとして見ることにつながる。ではオランダの植民地時代から、パプアがインドネシアの一部になるまでの間に、パプアの近代化の失敗を説明するようなナラティブはないのだろうか? パプアの人々の日常となった問題に対し、どうしたら他の観点を提示できるのか?

 映画の中で夢と宝クジを混ぜ合わせることでステレオタイプ化を分析し、パプア社会を別の視点から見せる方法を模索する。この映画はパプアの社会を見つめることで、その中での関係と対話を提示することを目指した共同作業による作品だ。


ハラマン・パプア

パプアにおける問題や社会について議論するためのコミュニケーション・ツールとして、映画を含むさまざまなメディアを使って作品を作るプラットフォーム、それがハラマン・パプアだ。2013年にフォーラム・レンテンによって立ち上げられ、パプアにおける健康問題や、公衆衛生サービスに焦点を当てるため、パプア州センタニ、ジャヤプラ、ワメナ、ティミカからのグループが集まって結成された。後にはアナログとデジタル技術の両方を使って情報を配信するなど、さまざまなメディアを使うことで、パプア社会における問題点についての、より幅広い考察を扱うようになった。