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やまがたと映画


東北芸術工科大学、科学研究費プロジェクト

YIDFF30年:これまで、そして、これから

映像で見つめるYAMAGATA

ユネスコ創造都市やまがた


やまがたの花が咲くとき

 山形県民の多くは、国際ドキュメンタリー映画祭に関心がない――このカタログを手にしている方にとっては信じがたい発言かもしれないが、私は長年そのように感じていた。それを証明する数値やデータがあるわけではないし、スタッフあるいは観客として映画祭に関わる数多くの県民がいることも承知している。それでも「映画祭に足を運んだ経験がない」「会期も開催場所も知らない」「興味を抱いたことさえない」などの声をじかに聞いてしまうと、やはり先述したような心境になってしまう。

 関心が持てない理由はひとつではないようだ。日々の暮らしに追われて参加する余裕がない、ドキュメンタリーの堅苦しい印象が払拭できない、海外の人々とのコミュニケーションに萎縮してしまう、などなど。なかには「わがもの顔で騒ぐヨソモノが気に入らない」という、やや驚く意見も耳にした。ともあれ、それぞれに共通しているのは、「映画祭は自分たちと無縁の催しである」という感覚のように思われる。ならば「県民もまた映画祭の主役である」と伝える場が必要ではないか。そんな思いから2007年に誕生したのが「やまがたと映画」である。

 当初、「やまがたと映画」は山形県とゆかりのある作品や監督を取り上げ、死蔵していた県内の8ミリ・16ミリフィルムを発掘する形で始まった。懐かしさや物珍しさを動機として、会場へ足を運ぶ県民を掘り起こすことが目的であったからだ。しかしスタートから10年以上を経た現在は、より重層的で幅広いラインナップが自然発生的に生まれている。私たち運営サイドが変化したのではない。観る側、つまり県民の意識が(緩やかではあるけれど)確実に変わってきた結果だ。郷土礼賛やノスタルジックを超えた「映画の豊かさ」「やまがたの奥深さ」を、県民が求めるようになったのだ。今回もそんな「豊かさと奥深さ」を感じる多様なプログラムが揃ったと自負している。

 第1回開催から30年という節目を迎えて上映されるのは、映画祭誕生前夜の克明な記録『映画の都』、そして転換期をとらえた『映画の都 ふたたび』。本映画祭がなぜ山形で続いているのかを改めて問う、興味深い二作だ。「雪国を、生きる! 〜雪調とは何か〜」では、かつて本県に存在した〈積雪地方農村経済調査所〉の記録映画を通じ、雪と山形、芸術と農村の関係を考えてみたいと思う。「O氏シリーズ」と銘打ったプログラムでは、世界的な舞踏家・大野一雄のパフォーマンスを記録した三部作を上映。山形市内で2001年に行われた公演の記録映像も初公開される。そのほか、山形県教育センターに収蔵されている記録映画の発掘、山形と映画館の関わりをたどる資料展示、監督ら映画祭関係者のプライベートフィルムから映像の新たな可能性を探る「ホームムービーの日」、山形市のユネスコ創造都市ネットワーク加盟を考えるシンポジウムなど、さまざまな視点から〈やまがた〉を、映画祭を見つめる内容となっている。

 これほど多彩で多様なプログラムになったのは、先に述べたとおり県民の意識の変化によるところが大きい。ならば、冒頭の発言はそろそろ撤回、修正しても良いのかもしれない。県民はいまや映画祭に大いなる関心を寄せており、蒔いた種はまさにこのとき、花開こうとしている――と。

 私たちは、開花の瞬間をぜひあなたと一緒に見たいと願っている。

黒木あるじ(プログラム・コーディネーター)