リアリティとリアリズム:イラン60s−80s
すももの思い出:イランのリアリティとリアリズム
山形もイランもすももの産地だ。山形産の甘酸っぱい果汁を味わうたびに思い出すのは、イランで友人たちが振る舞ってくれたすもも入りの煮込み料理と、困難な状況下における彼らの寛容さと行動力である。今回の特集は、彼らの助けなしでは、成り立たなかった。
実際は、この文章をしたためているいま、まだ問題は残っている。昨年発動されたアメリカのイランに対する経済制裁の影響で、上映素材が現在もイランに留まっているのである。しかし、それも友人たちの助けによって解決の兆しが見えてきた。一連の彼らの振る舞いを見ていると、予期せぬ困難を柔軟に受け止め、軽々と乗り越えてしまう不思議な力を感じざるを得ない。
今回の特集では、1979年のイラン・イスラーム革命をまたいだ、1960年代から80年代までの作品を上映する。急速な近代化、革命、イラン・イラク戦争により統制が強化されていった時代にもかかわらず、困難を乗り越える強度を持った作品を生み出す作家たちが、イランから沢山輩出された。
世界で注目され、今回、日本で初めて紹介するカムラン・シーデル監督の初期4作品『女性刑務所』(1965)、『女性区域』(1966−80)、『テヘランはイランの首都である』(1966−80)、『雨が降った夜』(1967)は、いずれも、パフラヴィ国王による近代化政策で1964年に設立されたばかりの文化芸術省が製作した作品だが、そのうち2本はプリントが押収され、革命後まで日の目を見ることがなかった。近代化の成功を謳うプロパガンダ映画を期待されたにもかかわらず、理想とかけ離れた現実(リアリティ)が、あまりにも巧みに描かれてしまったためである。
また、ソフラブ・シャヒド・サレス監督の2作品『ありふれた出来事』(1973)、『静かな生活』(1975)は、前者は文化芸術省、後者は国営ラジオ・テレビの関連会社が製作し、のちの映画作家たちに影響を与えた作品である。素人の役者を起用し、ドキュメンタリーと劇映画の手法を巧みに使うことで、独自のリアリズム表現にたどり着き、現在も傑作と言われている。
当時、数少ない女性監督であったフォルーグ・ファッロフザードによる『あの家は黒い』(1962)は、独自の詩的リアリズムを生み出した。そして、1965年に設立された児童青少年知育協会が製作した、バハラム・ベイザイの『髭のおじさん』(1969)、ナセル・タグヴァイの『放つ』(1971)、シャヒド・サレスの『白と黒』(1972)、アッバス・キアロスタミの『第1のケース…第2のケース』(1979)、ベイザイの『バシュー、小さな旅人』(1985)。公的機関による子ども向け映画という制約を映画的創造性で軽々と凌駕した「ニュー・ウェーブ」の作家たちのリアリズムも忘れてはならない。
同時に、国営ラジオ・テレビによって生み出された、ホスロ・シナイによる前衛的作品『ホセイン・ヤヴァリ』(1973)、革命後に新しい国営テレビで企画されたシリーズのうちの一つで、法改正に結びついたエブラヒム・モフタリの『借家』(1982)、同じく国営テレビにより製作され、戦時下の現実を劇映画の様式美にまで高めたアミール・ナデリの『水、風、砂』(1989)も上映する。
現実の制約を、映画のリアリティとリアリズムにより軽々と超えていった作家たちの軌跡にぜひ出会って欲しい。