「現実の創造的劇化」:戦時期日本ドキュメンタリー再考
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特別協賛:木下グループ
「ドキュメンタリー」の方法の模索者たち
戦時期日本のドキュメンタリーと聞くと、煽情的なプロパガンダ作品を想起する人が多いかもしれない。しかし、少なくとも太平洋戦争に突入する以前の数年間、そこには作り手たちの広範な実践があった。その頃、新しいドキュメンタリーの方法をめぐって、日本の映画人の間で盛んに語られたトピックが「現実の創造的劇化」である。
この言葉は、1920年代末から展開されたイギリス・ドキュメンタリー映画運動の一翼を担ったポール・ローサの著書、『ドキュメンタリー映画』(Documentary Film, 1935)に由来する。厚木たかの翻訳によって『文化映画論』(1938)の邦題で出版された同書は、日本で多くの読者を獲得し、映画界に強い影響をもたらした。そのなかでドキュメンタリーの「原理」として「社会分析の表現」と並んで掲げられた「現実の創造的劇化 the creative dramatisation of actuality」というフレーズが、広く流通したのである(世界的には、上記の映画運動の立役者であるジョン・グリアスンが提唱した「現実の創造的処理the creative treatment of actuality」のほうが知られているだろう)。
では、それは一体どのような方法であったのか。当時の制作者たちは、そこにいかなる可能性を見いだしたのか。こうした関心から生まれた本特集では、1940年前後に手がけられた日本作品11本を、それらの作り手が理論的に依拠していた(ただし作品自体を観る機会はほとんどなかった)イギリス作品5本、さらに日英双方で大いに参照されていたソ連作品1本とともに、5つの切り口から紹介する。
日中戦争を背景に、ニュース映画に顕著にみられるような映像の記録性やリアリティに対する注目が高まっていたこの頃、国策の浸透を企図した政府は娯楽映画とは異なる社会的役割を担う映画として「文化映画」というジャンルを定め、多くの作り手たちもそれに便乗した。一方でこの機運を利用して、左翼思想の潮流を汲む「記録」を試みようとした者たちもいた(実際、文化映画業界にはかつてのプロキノ[日本プロレタリア映画同盟]のメンバーが少なからず集っていた)。そうした状況は当時の日本において「現実」をいかに切り取るかという視点のせめぎ合いを生み、だからこそ「現実の創造的劇化」というトピックが議論を呼び起こしたのである。
今回取り上げるのは、なかでもローサの説くドキュメンタリーの方法を熱心に試みた作品群である。その作り手たちは、映像で記録する行為を通して社会的事象にコミットしようとする姿勢のもと、企画段階での入念な調査、一定期間をかけた撮影、撮影対象者の意見を取り入れた演出、といったアプローチを実践した。また同時に、現実の在りようを表現するための新しい技法にも挑戦し、場面の再現や演技の導入などによるフィクション形式との融合、技術革新の最中にあったカメラや録音機の実験的活用、作曲家を起用した音楽制作などに取り組んでいった。
こうした「ドキュメンタリー」の方法は、今日まで通じるものもあれば、大きく異なるものもあるだろう。現在の私たちの目には、ドキュメンタリーとは映りがたい作品もあるかもしれない。しかし、1940年前後の日本の作り手たちにとって、それが「現実の創造的劇化」を目指すための「ドキュメンタリー」の模索であったことを想像してみたい。むろん、そうした試みもつねに戦時期日本という政治的な限界のなかにあり、そこに国策プロパガンダと親和的な側面を認めざるを得ないのも確かである。そのことを心に留めつつ、だからこそ、作品ごとに複雑に入り組んだ思想や題材や技法を見つめ直すことで、戦時体制と作り手たちの実践活動との関わりの内実をいまあらためて探求しうるのではないだろうか。
本特集は、国立映画アーカイブとの共催によって実現した。また、各作品の素材提供者・権利所有者の方々も惜しみなく力を貸してくださった。そうした支えがあってはじめて、従来ほとんど観る機会のなかった作品群の貴重なフィルム上映が叶ったことを、ここに記して感謝する。
- [写真提供]
- 国立映画アーカイブ:『炭焼く人々』『トゥルクシブ』『白茂線』『機関車C57』『知られざる人々』『信濃風土記より 小林一茶』『土に生きる』 『医者のゐない村』『農村住宅改善』『或る保姆の記録』
BFI National Archive:『造船所』『住宅問題』