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YIDFF 2019 アジア千波万波
1931年、タユグの灰と亡霊
クリストファー・ゴズム 監督インタビュー

農民蜂起を率いた忘れられた英雄


Q: この映画は、フィリピンのタユグの町の民衆蜂起を描いていますが、作品をモノクロにしたのはなぜですか?

CG: より抽象的にしたかったからです。モノクロは観客の意識をストーリーに集中させることができます。

Q: 主人公カロサが首につけている鎖に、目が描かれているのが印象的でしたが?

CG: 彼らの宗教はフォークロア的カトリックともいうべきもので、鎖に描かれた目は彼らに過去と未来を見せてくれるお守りなんです。

Q: 監督も、神を信じているのですか?

CG: ええ、彼は皆に命を与えます。私たちは、自然や仲間のなかに、最も酷く困難な状況のなかにも、神を見つけることができるのです。

 わたしの愛読書に『Pasyon and Revolution』という本があります。Pasyonとは、フィリピンで聖週間と呼ばれる時に歌われるキリストの受難詩で、キリストの生涯を基にして、近代フィリピンの政治と民衆運動の歴史を描いています。この本が、映画の着想とストーリーに明確な指針と枠組みを与えてくれました。

Q: 登場人物たちは暴力について語りますが、暴力とは何なのでしょうか?

CG: 私にとって、暴力とは社会における不公平、権力者や富める者による、貧しい人々の権利の抑圧です。彼らは、この暴力から自由になるために、結局暴力に訴えるしかなかったのです。

Q: では、当時生きていたら、活動に参加していましたか? また、監督にとって、生き方と死に方ではどちらが大事ですか?

CG: ええ。あっさり死んでしまったとしても、それは死ぬ価値のある死になったと思います。でも、やはり大事なのは生き方だと思います。神に与えられた人生をどう生きるかです。精一杯生き、変化を起こすことが人生の意義だと思います。

Q: 映画の最後で、インタビュアーの女性が若者たちにカロサを知っているかをたずねてまわります。民衆のために立ち上がった人々を覚えていることは重要だと思いますか。

CG: 実はそれが、映画のテーマのひとつなのです。人々の記憶です。そうした記憶を持たない人は魂のない幽霊も同然です。町全体、国全体への彼らの貢献を記憶していることは重要なのですが、残念ながら今の人々は知らないし覚えていない。悲しいことです。

Q: 過去を知り未来を想像する力があるはずの人間が、なぜ同じ過ちを繰り返すのでしょうか? 為政者が変わっても政治は同じように腐敗を繰り返します。

CG: そして、その結果暴動もつながっていくのです。指導者が消えても、10年20年後には新しい指導者が現れ、考え方、記憶は次の世代へ引き継がれます。1930年代のカロサの世代および彼が率いた集団は、1900年代初頭のアメリカとフィリピンの戦争とも、60、70年代の共産主義運動ともつながっていました。社会に不公平がある限り、新しい蜂起、新しい政治組織が必要なのです。カロサは裕福な地主から土地を獲得して貧しい農民に分配するために闘いました。でも、今でも問題は解決していません。富裕層は政治的リーダーでもあるからです。莫大な土地を所有、支配する地主たちは自らの利益を守り、やがて市長、知事、国会議員などになるのです。問題の根は深く、文化と歴史に組み込まれているのです。もしかすると私が死ぬ時も変わらない社会問題であり続けるかもしれません。

(構成:小澤海音、山田一枝)

インタビュアー:小澤海音、猪谷美夏/通訳:鈴木天乃
写真撮影:舛田暖奈/ビデオ撮影:舛田暖奈/2019-10-12