ロックスリースペシャル
1980〜90年代短編集
助成:国際交流基金アジアセンター アジア・文化創造恊働助成
上映作品リスト
*明記がないものは監督、提供=ロックスリー、製作国=フィリピン、ダイアローグなし
1980〜90年代短編集
トカゲ、または爬虫類の前でパフォーマンスする
Lizard, or How to Perform in Front of a Reptile- 1986/カラー/16mm/5分
共同監督:ルドヴィグ・イリオ
提供:Arsenal
スピット+オプティック
Spit+Optik- 1989/カラー/16mm/10分
共同監督:ベンジー・ロントックJr.、イェイェ・カルデロン、アット・マキュランガン
提供:Arsenal
ザ・グレート・スモーク
The Great Smoke- 1984/カラー/デジタル・ファイル(原版:Super 8mm)/6分
提供:マーヴ・エスピーナ、シリーン・セノ
ABCD
- 1985/カラー/デジタル・ファイル(原版:Super 8mm)/6分
提供:マーヴ・エスピーナ、シリーン・セノ
ホアン・ガパン(這うホアン)
Juan Gapang (Johnny Crawl)- 1987/カラー/デジタル・ファイル(原版:Super 8mm)/7分
共同監督:イェイェ・カルデロン、アット・マキュランガン
提供:マーヴ・エスピーナ、シリーン・セノ
セサール・アサールの箱
Cesar Asar's Box- 1989/カラー/ビデオ(原版:Super 8mm)/10分
ハラジュク
Harajuku- 1992/カラー/16mm/12分
ほか
近作
グリーン・ロッキング・チェア
Green Rocking Chair- 2008/ピリピノ語/カラー、モノクロ/DVCAM/61分
提供:Baybayin Productions
フィリピンの文字、バイバインを探す旅人(ロックスリー)が現代の街を彷徨う。YIDFF 2009で上映。
マニラ・スクリーム
Manila Scream- 2017/ピリピノ語/カラー/デジタル・ファイル/19分
共同監督:ブレア・カミロ、ボブ・マカベンタ
提供:Cinema Regla
ムンクの「叫び」がマニラの雑踏の中に出没し、大気汚染で破壊されるこの地の悲鳴を奏でる。
ユアーズ・トローリー
Yours Trolley- 2017/ピリピノ語/カラー/デジタル・ファイル/26分
共同監督:ブレア・カミロ
提供:Cinema Regla
マニラの線路脇に住む人々の足となるトローリーを漕ぎ進めながら、人々の話しや音楽を拾い集める。
スライシング・アート
Slicing Art- 2017/ピリピノ語/カラー/デジタル・ファイル/22分
共同監督:ブレア・カミロ
提供:Cinema Regla
ロックスリーの弟ロメオ・リー作品の収集家でもある俳優ジョン・ロイド・クルズのコレクションを皮切りに、山の中へとアートを訪ねる旅をする。
旧西村写真館展示 ロックスリーの館
10月6日(金)〜12日(木)(12:00−17:00、12日のみ10:00−13:00)に、旧西村写真館にて、ロックスリーが描いたドローイング、イラスト、漫画等、映像作品も合わせて展示します。ロックスリーも随時出現、パフォーマンスもあるかもしれません。
ロック・フェデリゾン・リー(通称ロックスリー、1950年生まれ)は、広東省出身の父親とフィリピン・ビコール出身の母親を持ち、6人兄弟の3番目としてナガ市に生まれる。少年期は雑貨店を営む家族を手伝う傍ら、街頭で新聞・雑誌を売ったり、ホテルのベルボーイとして働いたりと、風変わりな仕事をいくつも経験した。アテネオ・デ・ナガ大学を卒業後、1978年にマニラのナショナル大学で建築を学ぶ。直線を引くことだけの日々に飽き、一年後に中退。フィリピン版の『ローリング・ストーン』ともいえる『Jingle』誌にイラストの寄稿をするようになる。ここから新鋭のミュージシャン、芸術家、映画作家、作家が巣立ち、その中にはラヴ・ディアス、ジョーイ・アヤラ、エリック・ガマリンダ、ダンテ・ペレス、セサーレ・シフーコらがいた。コマ割り漫画として掲載された、カルト的なキャラクター、セサール・アサールは、後にフィリピンの全国日刊紙「Manila Bulletin」に連載される。1980年から2000年までは、漫画を描きつつ、銀行家であり駆け出しのピン芸人である兄、モン・リーと一緒に仕事をしていた。また、パンクとアングラの同人誌『Red Racket』誌(1989−90)などにも寄稿し、仲間とともに先駆的なサウンド&メディア芸術集団「Children of Cathode Ray」を結成した。
フラストレーションを発散させる新たな道を模索していたロックスは、クリストフ・ヤネツコ、ハルン・ファロッキらがインストラクターを務める映画制作ワークショップ(フィリピン大学とモウエルファンド・フィルム・インスティテュート/MFI主催、後にゲーテ・インスティトゥート・マニラが協力)に参加。1983年のSuper 8mmワークショップでは、テッド・アラゴ監督の映画『白の玉座』の脚本を担当。これは、トイレの便器を崇拝するカルト集団を描いており、ロックスは人類にとって、爆弾よりもトイレの方がはるかに利用価値のあるものと感じていた。ソロ映画デビューは、核による破壊を辛辣に風刺した『ザ・グレート・スモーク』(1984)である。ガレージで椅子に置いたイラストを三脚に据えたカメラで撮影、それまでの作品を総覧的に、記録映像、コラージュ、アニメーションから構成される。
環境や社会について言及する作品を続けて作り、ある実験映画祭参加のためにすばやく制作された『ABCD』(1985)は、ロックス印の技法がちりばめられ、環境、都市化、人権というロックスの主な関心事も集約されている。ビルガー・ブストフ主宰の1987年のワークショップでは、イェイェ・カルデロン、アット・マキュランガン、ジョーイ・アヤラと協力し、都市に介入する芸術活動であるパフォーマンス・プロジェクト『ホアン・ガパン(這うホアン)』を制作。顔を白く塗った長髪の男が、MFIからマニラ・フィルム・センター裏の防波堤まで、交通渋滞を縫うように歩く。
これまで日本、ドイツ、香港、フィリピンにおいて回顧展が行われており、ロックスは、映画、インディペンデント・アート、実験的メディアで活躍するさまざまな世代のアーティストを鼓舞し、インスピレーションを与え続けており、今日も新作の制作に励んでいる。
ロックスはパンクだ !?
ロックスリーと初めて会ったのは、1989年の香港国際映画祭であった。フィリピンの8mm作品を含むインディペンデント映画の短編集が上映され、そのセンスとユーモアに虜になり、来ていた作家のロックスリー、ノエル・リム、作品集をまとめた兄貴分のテディ・コー、同行した小川プロの伏屋博雄さんと、毎夜街に繰り出したものであった。その年の第1回の山形の映画祭には、アジア・シンポジウムにパネリストとしてテディを招待、ロックスたちは何故来たのだったか。シンポジウムには参加していたが、途中でいなくなってしまった。アジア映画作家の宣言の時にはちゃんと顔を見せていたのだが。映画祭後に新庄で彼らの作品を上映し、フィリピンから来ていた花嫁さんたちと会ったりもした。
その後国際交流基金の助成によって原宿を撮り(『ハラジュク』)、そのまま滞在を延長して、荻窪にあった小川プロの事務所の近くの狭い部屋に人間大のゴキブリと同居していた(と本人が書いていた)。その間、映画祭の先付けの原画や、ポスターやTシャツのデザインを描いてくれたりしたものだ。期間中には、その武骨な顔に似ず、ウィットとユーモアでまわりを魅了して、デイリーニュースにも、機知に富んだイラストが掲載されている。1995年に、当時デイリーニュースにも関わっていた高橋直さんの編集する『蕎麦王国山形』という本のために、山形のそば屋を食べ歩き、ソバを作ったりして、「SOBAMANが行く」というマンガが掲載されたことも忘れられない。
そうこうしているうちに、2人の子どもが生まれ、いかつい顔も少しは柔和になったか。今回、新作を含めて今までの多くの作品と、いろいろな所で描き散らした絵、漫画、イラストが、映画祭に集結するのは、この上ない喜びである。