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政治と映画:パレスティナ・レバノン70s−80s


第1部:パレスティナ革命とミリタント映画

第2部:ジョスリーン・サアブのレバノンそしてベイルート


連帯する映画、そして記憶する映画

 昨年、私はある国際映画祭で1本の映画に出会った。『オフ・フレーム/勝利まで』(2016)である。映画は、パレスティナに関する古い映画のフッテージを考察して再構成したもので、その古い映画は「ミリタント映画」というらしい。そして、監督のムハンナド・ヤークービがイギリスで映画を研究している時にこの「ミリタント映画」と出会い、世界各地に散逸した映画を集めアーカイヴ化し、上映会を開いていることを知った。

 「ミリタント映画」とはなんだろう? パレスティナに関しては、元々、1968年にヨルダンでパレスティナ解放機構 (PLO)が設立したThe Palestine Film Unit (PFU、後のThe Palestinian Cinema Institute)によって製作された映画のことをいい、パレスティナの日常生活を記録することから始まった。イギリス委任統治領時代を経て1948年にイスラエルが建国されていくなかで、パレスティナの日常が「元々なかった」ことになってしまったのである。「ミリタント映画」は、そのような言説に抗い、失われたパレスティナを記憶するための試みであり、1930年代にイギリス統治に対する抗議として始まった「パレスティナ革命」を駆動し続けるための道具でもあったのだ。

 本特集では、PFU製作の映画だけでなく、1970〜80年代に世界の映画人がパレスティナに連帯して作った「ミリタント映画」を上映する。彼らは、パレスティナの苦難によりそい、マルクス・レーニン主義に基づき毛沢東主義を掲げてパレスティナ革命の正当性を説き、帝国主義のプロパガンダに対抗して前衛的プロパガンダを提示し、映画の政治的表象に対し思考をめぐらせる。そこに、映画人たちが試行錯誤しつつ、政治と映画に向き合った軌跡をみることができる。そして、90年代には、68年の「五月革命」を経験したスイスの作家リヒャルト・ディンドが、パレスティナに連帯したジャン・ジュネの足跡を映画に昇華し、2010年代には、80年代に生まれたパレスティナの作家ムハンナド・ヤークービにより、「ミリタント映画」とその時代に関する考察がなされるのだ。

 一方、レバノンでは1975年に内戦が勃発し、90年の終結まで15年におよぶ破壊と暴力により、国土は一変した。アラブを代表する映画作家ジョスリーン・サアブは、突出した知性と行動力で生まれ育った町の変貌をカメラに収め、4本の作品で失われた町を記憶に留めようとした。また、内戦が終わり、レバノンのシネマテーク設立を記念して監督した『昔々ベイルートで』(1994)で、サアブは、ベイルートに付与された多様なイメージを浮き上がらせつつ、記憶のなかのベイルートを探し続けるのだ。今回、この映画の35mmフィルムが20年ぶりに上映されるにあたり、主演のミシェル・ティヤーンがレバノンから発送の手配をしてくれた。内戦時代に育った彼女にとって、ベイルートはどのような町として記憶されているのだろうか。

 苦しみに連帯し、また喪失に向き合って作られた15本の作品を前に、当事者でない私がどのように向き合うことができるのか、煩悶している。

加藤初代(プログラム・コーディネーター)