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    ルッキング・スルー

    Looking Through
    Negaah

    - イラン、オーストラリア/2007/ペルシャ語/カラー/ビデオ/81分

    監督、脚本、編集、録音、ナレーター:マーニー・ペトガー
    撮影:マーニー・ペトガー、アナヒード・サーベル、トラージ・アスラニー
    音楽:クラウス・シュルツェ
    出演:アナヒード・サーベル、ダネシュ・シャヴィー、アリ・タヴァッソリー、ファルバーズ・バーディイー、メフディ・ルスター
    製作:バフラム・バディイー、マーニー・ペトガー 
    製作総指揮:トラージ・アスラニー 製作補:カンビズ・サファリー
    製作会社、提供:アンエクスポーズド・フィルム

    映画を学ぶイラン人女性がカメラを手に母国へ戻ってきた。次の映画プロジェクトを探し求める監督とアシスタントが彼女と一緒にバンに乗り合わせ、カメラレンズの蓋をあけた瞬間から、旅が始まる。西洋文化が最初にイランに入って来たと言われる都市マスジェディ・スレイマンとアラブ系の人たちが多く住むアバダンで、テヘランからやってきた彼らが目に入って来た風景にカメラを向けた時。通りがかりの人たちと場所と交差しながら、立ち止まりながらイランの今を想う。彼・彼女らの話に吸い寄せられては離れながら、見ている者をもどこかへと誘うトラベローグ。



    【監督のことば】『ルッキング・スルー』は当初劇映画として構想していた。アメリカ先住民の女性が、恋人ビジャンの故郷を見るためにイランを訪れる物語だ。彼女はひとりでやってくる。ビジャンはイランに戻ると、2年の兵役が待っているからだ。イランにいる間、彼女は15年前にビジャンが通った同じ道をたどり、アメリカで待つ恋人のためにいくつかのイメージを集める。

     1998年、このアイデアがある日本のプロデューサーの目に止まり、後に日系アメリカ人の女性の目を通した物語に書き直された。しかし、どういうわけか、私たちは脚本を書き上げることができず、そして映画は現在の姿として完成する。フィクションの結末を持つある種のドキュメンタリーとして……。


    - マーニー・ペトガー

    1959年、イランのテヘランに生まれる。1980年から82年にかけて写真スタジオを経営後、映画界に入りアミール・ナデリと共に働く。ナデリ監督の『駆ける少年』(1986)、『水、風、砂』(1989)でスチール写真、助監督、編集助手を担当。エブラヒム・フルゼシュ監督の『鍵』(1987)での仕事を終えるとオーストラリアに移住し、1988年から90年にかけてオーストラリアの映画業界で様々な職を務めた後、1991年に最初の実験的短編『Reverse Angle』を完成させる。1994年、オーストラリアのSBSテレビとイランのファラビ映画財団の仕事で、イラン映画についてのドキュメンタリーを撮るためにイランに戻るが、そのプロジェクトは完成しなかった。その代わりに、モフセン・マフマルバフ監督の『サラーム・シネマ』を扱った『Cinema Cinema』(1996)が完成し、『Film Lovers』(2002)の構想が生まれる。1997年からは仕事と生活の場をイランに戻し、イランで3本の長編映画を計画している。『ルッキング・スルー』はその1作目。1996年から2002年までオーストラリアにリバース・アングル・プロダクション、2004年にイランにアンエクスポーズド・フィルムという自身の製作会社を設立。