溺れる海
The Drown SeaLaut yang Tenggelam
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インドネシア/2006/インドネシア語、スンダ語、ジャワ語/カラー、モノクロ/ビデオ/94分
監督:ユスラム・フィクリ・アンシャリ(ユフィク)
撮影:スヘルマン
編集:モハマド・シャファリ・フィルダウス、ユスラム・フィクリ・アンシャリ
調査:ディニ・ユリエッタ・サリ、シティ・フィクリア
製作:モハマド・シャファリ・フィルダウス
製作総指揮:モハマド・シャファリ・フィルダウス、シティ・ハプサリ
製作会社、提供:コニュニタス・プルフィルマン・インテルテキスチュアル(KoPI)
1980年代から沈泥によって急激に陸地へと変貌をとげている汽水域スガラアナカン潟。先祖代々漁業を営み「海の上、魚の頭上で生活してきた」カンポンラウトの人たちの生活も変わり始めている。広がる陸地や森林に新たに移り住み農業を営んできた「新しい」人たち、セメント採掘の巨大船、森林の伐採の是非。若い木がニョキニョキ生え、狭まった水上を行き交うボートに乗って漁業では食べていけない生活を思案する。住人らの言い分が謎解きのように溺れかかった海の上を交錯し、新たな土地と風景をそれぞれ受け止めようとする。
【監督のことば】『溺れる海』は私の6作目にあたり、初の長編ドキュメンタリーだ。農業問題は私の関心事のひとつだが、この映画でもっとも訴えたかったのは、環境の変化に直面したカンポンラウトの村人が、日々どのように暮らしているかということだ。
この映画は、「コミュニタス・プルフィルマン・インテルテキスチュアル」(KoPI)の同僚たちと共に制作した。また、カンポンラウトで女性の支援活動を行っているプルウォケルトにある法律相談事務所の協力も得ている。
私たちは、カンポンラウトの人々も招いて“参加型”の映画を作ろうとした。人々が映画の中で、それぞれの物語を自分で語っているのもそのためだ。私たちはただ、物語を集め、編集、構成し、そして“箱に詰める”ことに徹するだけだ。そうすることでこの映画が、映画作家の私たちだけでなく、参加した人々のものにもなることを願っている。
ユスラム・フィクリ・アンシャリ(ユフィク) 1972年、インドネシアのバンドン生まれ。1997年にバンドンのパジャジャラン大学芸術学部カルチュラル・ドキュメンテーション学科を卒業。撮影の仕事を手始めに、独学で映画製作を学ぶ。映像、主にドキュメンタリー映画を作る小集団「コミュニタス・プルフィルマン・インテルテキスチュアル」(KoPI)のメンバーで、KoPIが制作した多数の映画に関わる。彼の映画は主に農業問題を題材にし、ジャワ西部の農村でよく上映されている。 |