象の間で戯れる
Playing between ElephantsBermain di Antara Gajah-Gajah
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インドネシア/2007/アチェ語、インドネシア語、英語/カラー/ビデオ/90分
監督、撮影、調査:アルヨ・ダヌシリ
編集:ダルウィン・ヌグラハ
録音:エヴァ・ヌリダサリ、アンドリ・ムナディ
音楽:トエルシ・アルゲスワラ
製作:アルヨ・ダヌシリ、ブルノ・デルコン
製作総指揮:ビノッド・スレスタ
制作:国連人間居住計画(UN-HABITAT)インドネシア
提供:ラガム・メディア・ネットワーク
アチェの東グウェンティン村。津波から1年たち、国連人間居住計画による自宅再建がようやく始まるも、すべてを取り仕切らなければいけない村長の苦行の日々も始まる。資材や建設状況の管理、支援金や物資のやりくりだけには留まらず、不慮の事故や大火事など村のあらゆることに対処し奔走する。長老たち、村人、建設業者、国連職員ら、言いたい放題の人たちの間で何とか進めて行くが、ある日、とうとう村の集まりで想いの丈を吐き出す。資材を載せたトラックが通る度にぐらつく橋のはずれたボルトを手にし、空を見つめる村長と村の行く末は……。
【監督のことば】これは私にとって、アチェを扱った4本目の映画になる。18カ月の間、集中して制作した。1999年から2003年にかけては、政府と自由アチェ運動の間で紛争が続いていたため、ドキュメンタリーを作るような余裕も時間もほとんどなかった。私はずっと、主流のメディアでは伝えられないアチェの人々の姿に興味を持っていた。インドネシアで2番目に貧しい地域であるアチェは、「反政府武装勢力」がいる紛争地帯としか報道されてこなかった。2005年にアチェが開放され、私はようやく、アチェの東グウェンティン村の人々と自由に交流できるようになった。そしてついに完成したのは、最近たくさん作られているような“恐ろしいアチェ”や“悲惨なアチェ”物語ではなく、問題の複雑さを浮かび上がらせるような親密なストーリーだ。
ある日、村人と一緒に銀行へ行った時、彼らがサインではなく拇印を使っていることに私は強い興味を持った。オンラインバンキング、海外援助、カメラ付き携帯電話も、拇印、信仰、そして村に連綿と続く口頭伝承と同じように、村人の生活の一部になっている。村人は生活に様々なものを取り入れ、“ハイブリッド”になった。この時代に存在する多くの力学の間で、自分たちの居場所を見つけている。
このドキュメンタリーは、観察型シネマだ。背後に壮大な理念があるわけではなく、むしろ村人との親密な関係から生まれてきた。内側から物語をすくいあげる――これは、インドネシアのドキュメンタリーではほとんど見られない試みだ。この国では、依然としてインタビューを並べただけのドキュメンタリーやドキュドラマが幅をきかせている。多文化の衝突という危機を抱える現代インドネシアにとって、観察型シネマは、単なる娯楽以上の意味を持つ。インドネシアという国の多様な社会、多様な文化から得られる教訓を描きだしている。
大きな悲劇を乗り越えても、次は国際社会の介入が待っている。この映画は、そういった複雑な事情を描いている。津波に襲われたアチェで家屋を再建するには、全世界と関わらなければならない。そのためアチェの人々は、国際情勢と地元の事情の間にある軋轢と、折り合いをつける方法を学ばざるをえなくなる。
アルヨ・ダヌシリ 1973年、ジャカルタ生まれ。アチェを扱った最初のドキュメンタリー『The Village Goat Takes the Beating』は、2001年アムステルダムのアムネスティ国際映画祭に正式出品される。以降、インドネシアの人権と多文化問題を扱った民族誌映画、ドキュメンタリー、短編映画が、イギリスのRAI民族誌映画祭、アメリカのマーガレット・ミード・フィルム&ビデオ・フェスティバル、シンガポール、ブリスベーン、台湾、ロッテルダムで上映される。アチェを扱った3本のドキュメンタリーはDVD化された。異文化交流のための映像メディアを開発するNGOラガム・メディア・ネットワークのエグゼクティブ・ディレクター。今秋、ハーヴァード大学博士課程で映像人類学の研究を始める予定。『象の間で戯れる』は初の長編ドキュメンタリー。 |