軍備なき世界を
Towards a World without Arms-
1961/モノクロ/16mm/41分
製作会社:原水爆禁止日本協議会
協力・提供:日本ドキュメント・フィルム
第7回原水爆禁止世界大会の記録。1961年6月14日、広島平和公園から東京の第7回原水爆禁止世界大会を目指して平和行進が出発、今年もまた8月6日の記念日に慰霊祭が行われた。フランスがサハラ砂漠で行った核実験、NATO軍の核戦争の演習、コンゴの指導者ルムンバ殺害に対する民衆蜂起、ラオスで続く解放闘争、フルシチョフ・ケネディ会談など、世界の情勢を盛り込んだあと、8月9日、第7回原水爆禁止世界大会の予備会談、2日目の分散会、3日目の総会を紹介。12日、いよいよ本会議総会が台東体育館で開かれた。外国代表が続々入場、黙祷の後それぞれの国の代表が自国の実態と軍備全廃促進を訴える。沖縄代表はアメリカ軍事支配の現状を訴え、新島代表は新島ミサイル基地反対運動を紹介。続いて、北は北海道の稚内、南は沖縄から歩き続けた平和大行進の記録となり、その代表が会議の壇上へ。本会議2日目、13日は法政大学で分散会、「世界情勢と軍備全廃」、「実験禁止と核武装阻止」、「軍事同盟と外国軍事基地の廃止」、「被爆者の救援」、「運動の強化と国際連帯」の5つの議題で討論がくり広げられた。本会議3日目の14日は午前中から各所でテーマ別懇談会、夜は東京都体育館で本会議最終総会が開かれ、参加者は1万人を越えた。コペンハーゲンでも、アメリカでも、イギリスでも、平和を祈る大行進が進んでいく。映画は「こうして第7回原水爆禁止世界大会は、平和と勇気と良心の一大砦となって、来るべき第8回大会へと再び前進を開始したのであります」と結ぶが、この翌年の第8回大会は、社会党、総評の「ソ連の核実験に抗議する」動議で混乱、社会党系が退場し宣言不採択。第9回大会は社会党、総評系のボイコットで分裂。亀井は、この分裂騒動に嫌気がさし映画作りから遠ざかって行く。