亀井文夫特集 [戦後のドキュメンタリー]
鳩ははばたく
Fluttering Pigeons-
1958/モノクロ/16mm/42分
撮影・編集・録音・提供:日本ドキュメント・フィルム
企画:原水爆禁止日本協議会
第4回原水爆禁止世界大会の記録。1958年6月20日、核武装阻止と民主主義擁護のための平和行進が広島の平和公園を出発、東京を目指して1000キロを歩き出した。はじめは団長ただひとりの行進であったが、広島県内で2人となり、岡山県で4人になり、やがて5人6人と増え次第に膨れ上がった。京都では祇園祭と市役所前での歓迎会。大津では大本教の信者たちも参加。彦根、岐阜を経て名古屋へ。行進は2000名の行進となり、大阪市立盲学校の生徒が夏休みを利用して参加。第五福竜丸の悲劇のあった静岡県焼津市では亡くなった乗組員の墓参り。青森を出発した自転車隊も東京に近づいて行く。行進は、砂川を過ぎた辺りで警官隊と小競り合いとなったが無事通過、東京仏教団の僧侶も参加。広島を発って53日目、一緒に歩いた人々は100万人に達し、今、2000人の拍手に迎えられて、日比谷公園の歓迎大会に臨んだ。8月12日、第4回原水爆禁止世界大会が開かれ、1日目は日本大会、2日目は分科会、3日目は階層別協議会。15日、日本大会の総会で宣言が読み上げられた。16日からは国際会議がもたれ、分科会、階層別協議会などを経て20日の国際会議総会で宣言が採択された。防衛庁がスイスから輸入した地対空誘導弾エリコンの入港阻止で闘った労働者も参加。各国代表に平和の折り鶴のレイが贈られ総会は閉幕。夕刻から日比谷公園音楽堂で宣言が発表され、核武装禁止への希求はますます高まって行く。スタッフには、勅使河原宏の後任として楠木徳男が初めて参加した。