アジア千波万波 |
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アジア千波万波 特別招待作品 審査員 |
サーミア
Samia-
シリア/2008/アラビア語、フランス語/カラー/ビデオ/40分
監督、撮影、編集、録音、製作、提供:アンマール・アルベイク
www.ayyamgallery.com/#/artists/ammar-al-beik/
監督が住むシリア、サーミアがカメラと筆で描くラマラ、ビサンがどこへ向かうとも分からず歩き続けるエルサレム――それぞれの場所をつなぐ記憶の旅。画家サーミア・アル・ハラビーが描くパレスティナのオリーブや風の絵を道先案内として、「パレスティナ民衆の言葉の1粒1粒」であるラマラの石や土を掬い、エグザイル・パレスティナという空間に思いを馳せる。声にならない言葉、思い、そして視線が映画の光となってスクリーンのこちら側に反射する。
【監督のことば】 フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールが、イスラエル建国60周年を祝して、イスラエル学生映画祭からの招待を受諾したと、アラブのいくつかのメディアで報じられた。その情報源は当然、他国のメディアである。この件に関し、さまざまな視点から多くの議論が巻き起こったが、その議論のほとんどは不正確な情報に基づくもので、実際にはゴダールは招待を断わっていたのだった。
その同じ年、私は友人のパレスティナ人画家、サーミア・アル・ハラビーから、ラマラの街にあるオリーブ畑の石を贈られた。それは、私の国シリアではない場所でよく会っていたパレスティナの友人から、エルサレムの石を初めてプレゼントされてから10年後のことだった。それ以来私は、パレスティナの街のさまざまな石を専用のアルバムに収めてきた。
その年はまた、ジャン=リュック・ゴダール監督作品『アワー・ミュージック』の重要な登場人物であるパレスティナの詩人、マフムード・ダーウィッシュが亡くなった年でもあった(2008年8月9日に逝去)。
ダーウィッシュは、強奪された祖国の傷を満身に負ったまま天へと昇っていった。ジャン=リュック・ゴダールはいまなお映画を作り、我々の夜を照らしている。サーミアはいまなお絵を描き、エルサレムの我が家を夢見ている。そしてエルサレムに住む女性、ビサンは向かう先を知らぬまま、いまなお古都エルサレムの路地を歩き続け、そして街を囲む丘の間を通りすぎる。その全てがパレスティナ。残る者も去った者も。パレスティナは、私の色彩豊かで永遠なる絵画だ。
アンマール・アルベイク 1972年、ダマスカス生まれ、鳩ブリーダー兼サッカー選手。『Light Harvest』(1997、リエージュ国際ビデオフェスティバル市長賞)、『They Were Here』(2000、イタリアの国際映画協会連盟特別賞)、『Boulevard Al Assad』(2002)、『My Ear Can See』(2002)、『When I Color My Fish』(2002、ブリスベン国際映画祭審査員賞)、『Clapper』(2003)、共同監督作品『彼女の墓に花をそえるのは私』(2006、YIDFF 2007で上映、ヴェネツィア国際映画祭Doc/it賞)などの作品は、数々の国際映画祭で上映されている。 |