アンマール・アルベイク 監督インタビュー
映画を撮ることは生きること
Q: シリア人である監督が、パレスティナ人であるサーミアさんの映画を作ろうと思ったきっかけは何ですか?
AA: 私が映画を撮る理由というのは、ひとつではなくてたくさんあります。まず大事なことは、映画を作ることは私にとって生きることである、生きるための手段であるということです。もちろんサーミアさんとの出会い、画家としての彼女の存在は重要なものであるし、彼女のパレスティナ問題に対する姿勢は、極めて明確で真摯なものです。彼女のその姿勢に感銘を受けました。パレスティナ問題というのは、アラブ社会において60年の歴史を持つ極めて重要な問題で、アラブ世界におけるすべての問題は、ここから派生していると言ってもいいぐらいです。この重要な問題をとりあげずにはいられませんでした。
パレスティナ人の土地が奪われてからの歴史というのは、人類の歴史から見れば60年という短いものかもしれませんが、ある人々の土地が盗まれたのだということに対して、真摯に取り組むことが必要だと思っています。
Q: サーミアさんとの出会いについて教えてください。
AA: シリアで彼女の展覧会があり、そこで出会いました。彼女の絵に、非常に感銘を受けました。1948年に、家族と一緒にパレスティナを追われて、現在ニューヨークに住んでいるサーミアさんという画家がいることは、何年も前から知っていました。
Q: この映画の構成について教えて下さい。
AA: 最初は、エルサレムの旧市街を舞台にした20分のフィクションを作ろうと思いました。シリア人である私はパレスティナには入国できないので、旧市街に似た場所を探した結果、ギリシャにそういう街を見つけました。その映画の制作後に、サーミアさんと知り合って、彼女に何か贈り物が欲しいかと聞かれた時に、パレスティナの石を持って、それを写真に撮って送ってくれるように頼んだんです。彼女は写真だけではなく、ビデオ映像も送ってくれました。そのビデオ映像を見て「すごい」と思いました。自分が作ったビデオ映像よりも、すごいものが送られてきたのです。それで、新たにこの部分を組み込んだ映画を作ろうと考えました。私はインディペンデントなので、自由に映画を作れます。なので、古い映画を壊して次のものに作り変えていくという、冒険と挑戦をすることができました。
サーミアは73歳です。私たちは、彼女が何をしている人かを知っています。絵を描いているし、パレスティナと彼女の関わり方についても明らかです。この映画に出てくる、黒い服を着ている若い女性は、ラマラだけではなくパレスティナ全体を表している存在だと見ることができるし、サーミアの延長線上にある存在であると考えることもできると思います。4分間に渡って歩き続ける――光から闇に向かって歩き続けるというのは、今のパレスティナがどこに向かっているのか分からない、という現状を表している部分もあります。
Q: あなたにとってドキュメンタリーとは?
AA: 映画に関わる理論家たちは、フィクションとドキュメンタリーを、きっちり分けようとしてしまう間違いに、よく陥ると思います。けれども、たとえば今ここで、私たちが話していることをビデオに撮るということは、事実としての記録という部分もありますが、同時に語り合いが行われているのであって、その両者の重なり合う部分もあります。私は作品を通じて、その両者の曖昧さというか、或いは観ている人に疑いをもたらす「どっちなんだろう?」を作り出したいと思っています。自分の映画に関して言うと、黒い服の女性の場面というのはフィクションかもしれませんが、それはその場所についての記録という部分も持っています。サーミアが石を拾って、いろいろ語る部分も確かに記録かもしれないけれど、それは彼女自身の物語でもあります。私は、ドキュメンタリー映画、同時にフィクションでもありうるような作品と、テレビのルポルタージュは違うと思っていて、ドキュメンタリー映画、同時にフィクションの部分――物語の部分をもっている映画は、もっと創造的なものだと考えています。
(採録・構成:木室志穂)
インタビュアー:木室志穂、広谷基子/通訳:森晋太郎
写真撮影:林祥子/ビデオ撮影:工藤瑠美子/2009-10-09