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    Crescent Moon Over the Sea
    Bulan Sabit Di Tengah Laut

    - インドネシア/2007/バジョ語、インドネシア語/カラー/ビデオ/63分

    監督:ユリ・アンダリ
    撮影:オパン・リナルディ
    編集:アリン・ジュスリア
    製作会社、提供:ブナン・メラ・プロダクション www.benang-merah.com | cmosdoc.multiply.com

    三日月の形をしている白砂の粒を意味するブンギン島。2003年にこの孤島と本島を結ぶ道ができたことで、変わり始めた漁村の生活や風景。交通が便利になり、物流も増える一方で、現金収入が必要になり、珊瑚礁を傷つける効率重視の漁が流行る。しかし、高校を卒業し3,000人が住む村に帰ってきた息子に全身全霊の愛を注ぐ父の姿は変わらない。カメラはジワジワと迫る村の変化を緩やかに捉え、空の三日月は父と息子を照らし続ける。



    【監督のことば】 ほとんどのインドネシア人にとって、海は切っても切り離せない存在だ。海を漂う民として知られるバジョ族も、その歴史と伝統は海と密接に結びついている。海辺に建てられた高床式の家に住み、家々には小さな舟がしっかりとつながれている。

     本作品では、西ヌサ・トゥンガラのブンギン島に暮らすバジョ族の生き方を私なりに描いた。1997年、高校のニュース取材で初めてこの島を訪れたときは、1日に2便しかない渡し舟で島に渡った。2003年に再び訪れると、ブンギン島とスンバワ本島をつなぐ道ができていた。この小さな島のいたるところで、開発が急速に進んでいた。移動手段は舟からバイクに変わり、若い人たちは、海で生計をたてるよりもバイクの修理工の仕事を選ぶ。そして皮肉なことに、海そのものが壊されつつあった。爆発物を使う漁は、珊瑚礁を破壊し、魚を殺す。既に海だけでは増え続ける人々の暮らしのニーズを満たすことができなくなっていた。

     私は3年にわたって島での取材を重ね、2007年の終わりに映画の制作を開始した。最初に島を訪れてからちょうど10年が経っていた。この映画を作るために、ブンギン島に半年間暮らし、その間共にすごしたバジョのマッカディア一族の人たちは近しい身内のような存在として受け入れてくれた。彼らを通して、島の伝説、祖先、そしてバジョの伝統に触れることができた。同時に大きなジレンマも垣間みた。古いバジョの伝統を守るのか、それとも昔ながらの海の生活を離れ、時代の変化を徐々に受け入れていくのか。このせめぎ合いは、島だけではなく、インドネシア全体が抱えるより大きなジレンマの象徴でもある。


    - ユリ・アンダリ

    1980年、インドネシア西ヌサ・トゥンガラ州スンバワ・ブサールに生まれる。ジョグジャカルタのガジャ・マダ大学コミュニケーション学科卒。ドキュメンタリー映画制作の初心者向けワークショップを受講した後、2005年に初のドキュメンタリー映画『Beauty Is Pain』を完成させる。その数ヶ月後、2作目となるドキュメンタリー映画『Little Jockey』が、2005年にインドネシアのメトロTVで放映された最優秀テレビドキュメンタリーに贈られるイーグル賞ならびに視聴者賞を受賞。2006年11月には、同作がテヘラン国際短編映画祭のアジア・コンペティション部門で最優秀監督賞を獲得。その後もドキュメンタリー映画を作り続け、各地の映画祭や地元政府のイベントで作品が上映されている。現在はジョグジャカルタのKUNCI文化研究センターで研究員を務めるとともに、ブナン・メラ・プロダクションを運営。