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    The Memory of Being Here

    - 日本/2007/日本語/カラー/ビデオ/28分

    監督、編集:川部良太
    撮影:柏田洋平、川部良太
    スチール撮影:大釜友美
    提供:川部良太
    www.and-web.info

    高度経済成長期、大都市郊外に作られた多くの団地は、今や老朽化が進み、取り壊しの時を待っている。公園の遊具、置き忘れられた自転車にはツタがはえ、その場所に確かに存在した時間の経過が刻まれている。しかし、その場所を離れた人の存在の証は、そこにはない。どこにでもあり、かつどこでもない「希望ヶ丘団地」で1997年5月に起きた「カワベ・リョウタ失踪事件」という物語を巡り、団地住民に喚起された記憶と証言のパズルが、少年の不在を照らし出す。



    【監督のことば】 子どものころ、近所にあった廃屋で見ず知らずの家族の記念写真を見つけたことがある。どんな理由があったかは知るよしもないが、それら数枚の写真といくつかの家財道具を残して、その家族は家を出て行ってしまったようだった。写真の中では、見ず知らずの人が見ず知らずの場所に立って、こちら側を見返している。その写真について何か語れる人は、もうここにはいない。意味や価値から断絶し、まるで空白のようにただただそこに存在していた写真。

     廃屋の中でその家族写真を見た時の感覚を、たとえば道を歩いていて、ぽっかりと姿を現す空地や更地を目にした時に、今でも時々思い出す。かつてある場所である人が生活していたこと、その人が何かを考えたり感じたりしたことは、その人がいなくなりその場所がなくなった時、どうなってしまうのだろう。

     あの廃屋は既に取り壊されて、写真もなにも今はもう存在しない。けれど、あの写真は私が見つけたこととは関係なく存在していたし、きっとそこに写っている家族もまた、私とは無関係にこの世界に存在しているのだろうと思う。では、私の手の中に握られたあの朽ちかけた家族写真は、どこに存在し、私と一体どんな関係を結んでいたのだろうか。痕跡としては残らない記憶をめぐって、私は、見ず知らずの人と見ず知らずの場所で映画を撮りたいと思った。こちらを見返すあの写真の家族のように、ここにはいない人々と、視線を交わらせることができると信じて。


    - 川部良太

    1983年、東京生まれ。東京造形大学映画専攻卒業。在学中より、映画から映像インスタレーションまで横断的に映像作品の制作を開始。「ここ」という場所から「よそ」へと繋がる回路として“記憶”を扱いながら、映画/映像と現実世界との関係性を考察している。主な作品に『どこかの誰か』(2004)、『雨の跡』(2005)、『家族のいる景色』(2006)、『そこにあるあいだ』(2009)など。また、2008年より友人数人と&AND(アンド)という運動体を立ち上げ、映画が「関係の生成装置」として機能するような制作活動・上映活動・ワークショッププロジェクトも幅広く展開中。現在、東京藝術大学大学院先端芸術表現科博士後期課程在籍。東京綜合写真専門学校非常勤講師。