アジア千波万波 |
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アジア千波万波 特別招待作品 審査員 |
ふと想う…
I Wonder . . .-
インド/2009/ヒンディー語、タミル語、英語、ネパール語/ カラー/ビデオ/70分
監督、撮影、編集、脚本:アヌパマ・スリーニヴァサン
録音:アヌパマ・スリーニヴァサン、プシュパ・ラワット
整音:アシーシュ・パンドヤ
製作会社:公共放送基金(PSBT)
提供:アヌパマ・スリーニヴァサン
海岸線が続くタミル・ナードゥ、乾燥地帯のラジャスターン、緑生い茂るシッキムと場所を移しながら、カメラは各地の子どもたちと一緒に、授業や放課後、家と学校の行き来、仕事の手伝い、といった日常の旅をする。はにかみながらも精一杯、家族のこと、先生のこと、自分の思いを話す子どもたち。その眼差しの先の、様々な 「なぜ?」という率直な大人への疑問を、監督はまっすぐに受け止めながら、教育の意味を軽やかに問いかける。
【監督のことば】 「君の映画はまだ完全には完成していない。視線の下でだんだんと作られてゆくのである。待機状態・保留状態にある映像と音。」ロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』(松浦寿輝訳)
映画が視線の下で作られてゆくのを体験した瞬間の中でも、特別な2つの瞬間。1つは、シッキム州ランガンでの夕方遅く。私たちは、ヴィニタの家で座っていて、彼女が話したがっていると感じていた。私は、彼女に「何をするのが好きなの?」と聞いた。一連の答えや質問やコメントが続いた後、彼女は「覚えるのが遅いの。先生のせいじゃない。私の頭のせい」ともらした。私は急いで「でもあなたは頭がいいじゃない」と言った。彼女は背筋が凍るような奇妙な確信を持って答えた。「ううん、私は頭が良くない」。その時、私は「我々」大人たち、教師、学校、システムが、うまくやってしまったのだと気付いた。我々は、勤勉で誠実な14歳の少女に、自分は不適格で馬鹿で、取るに足らないと信じさせてしまったのだ。
2つ目の瞬間は、ヴァダカドゥのディヴヤの家の中庭でのこと。私たちは、照りつく太陽の下、ブラブラ歩いていて、話す気分ではなかった。ディヴヤは物憂げにココナッツの葉を引っ張っていた。私は、彼女の手にカメラを向け、回し始めた。そよ風が、葉っぱの間を通りぬけ、カサカサと音を立てる。ファインダーを通して眺めていると、彼女の指が葉の動きを反映して、リズムを持って動き始めた。催眠にかけられてしまうような動きだった。彼女の指は動き続け、私はカメラを回し続けた。それが何を意味するかは分からなかったが、この映画の一部になることだけは確信したのだった。
アヌパマ・スリーニヴァサン デリーを拠点とする、フリーランス の映画監督。ハーバード大学で学部生としての勉強の一環で、ノンフィ クション映画の制作および写真を 学ぶ。2001年、プネーにあるインド映画・テレビ学院の映画監督コース (3年)を修了。監督したドキュメン タリーおよび短編映画は、数々の 映画祭で上映されている。作品は、 『On my own』(2002)、『A Life in Dance』(2003)、『On my own again』(2007)、『Music of the Mirs』(2008)他、短編映画数本。映画制作以外の楽しみは、子どもたちのためのワークショップを開くこと、数学を教えること、それに日本語を学ぶこと。 |