審査員
ガルギ・セン
●審査員のことば
ドキュメンタリーが、フィクションという主役に舞台上で対峙する脇役であるかのように感じることがある。それはどんな人、ものでも構わない。何もない空間や一筋の光、一輪の花や、もちろん俳優でもいい。それは自在に流動し、解釈に開かれ、いまこの瞬間を生きている。とはいえ映画は演劇ではないのだから、譬えが通じるのもここまでだ。しかし映画という領域に限れば、ドキュメンタリーの実践が自由の、実験の、表現の追求であることに偽りはない。とくに、アジアにおいては。
インドにおいてインディペンデント・ドキュメンタリーは最も困難な状況にあるが、そのための空間――可視と不可視の間にある特別な隙間を自ら切り拓いている。制作支援のファンドは僅かで、配給も減るなか、ドキュメンタリーの実践者は自ら制作、監督、配給、上映を担うことになる。またそうすることで、彼らは相互に交流し、解釈し、感化し合うための空間を生み出している。各種文化施設をはじめ、インフォーマルな場でこうした芸術形式に触れる観客は増えたし、映画祭や上映会が大学などのスペースで開催されてもいる。また同時に、実践者や重要な作品の数も伸びてきている。
しかし、開拓されたこの空間が一般公衆の目に届いていないのも確かだ。それがこの実践の特性だと言えば、そうかもしれない。マス向けでなく一握りの熱心な観客向けだから、ということも多分にある。テレビや規模の大きな劇場公開といった露出がないことも一因だろう。ともかくもインドのドキュメンタリーは、見えると同時に見えていない、そんな狭間の空間に跨っているわけだ。
こうした二重性はおそらく、ドキュメンタリーの実践の強みともなる。ドキュメンタリーに自由をもたらすものは、結局この二重性なのだ。だからこそ、見えずとも拡がりのある連携が築かれているのだし、それが思いもよらぬ未知の成果をもたらしている。
だからいま為すべきは、この目に見えないくらい薄い、とはいえ強力なつながりが国境や文化を越えて拡がり、重要な作品を流通できるようにすることだろう。商業や資本主義に基づく従来の流通経路とは異なり、文化の流通はいま、テクノロジーや事業を芸術と糾合させるような斬新な見方、新たな哲学的アプローチを必要としている。
映画監督のほかに、作品のキュレーション、配給、上映、製作も手がける。国立デザイン学院でヴィジュアル・コミュニケーションを専攻し、1986年に卒業。1989年にマジック・ランタン・ファウンデーション(現在は、有限責任事業組合マジック・ランタン・ムービーズ)を仲間とともに設立し、インディペンデント・ドキュメンタリー作品のアーカイヴ化と普及活動を通して、南アジアにおける独立系ドキュメンタリーの実践を支援している。2002年にレスター大学でマス・コミュニケーションの修士号を取得。2008年からは、複合的な上映と鑑賞の実践を提案する映画祭「パーシスタンス・レジスタンス」を毎年開催し、2012年にはライプツィヒ国際ドキュメンタリー・アニメーション映画祭と連携したドキュメンタリー教育プログラム「DocWok」を始動させている。
学校に行きたい
A School of My Own- インド/2009/ヒンディー語、英語/カラー/Blu-ray/33分
監督、脚本:ガルギ・セン
撮影:R・V・ラマニ
編集:サミーラ・ジャイン
録音:アシーシュ・パンドヤ
製作:インド映画・テレビ学院
提供:Magic Lantern Foundation
テレビは誰のもの?
Beyond Monarchs and Merchants- インド/2002/ヒンディー語、英語/カラー/Blu-ray/56分
監督、脚本:ガルギ・セン
撮影:R・V・ラマニ
編集:ランジャン・デー
録音:ヴィピン・バーティ
音響:アシーシュ・パンドヤ
製作:公共放送基金(PSBT)
提供:Magic Lantern Foundation
ヒマラヤ山脈のふもとで生活する子どもたちの学校への思い、教育を受けさせたい親たちの姿を日常に密着して描く『学校に行きたい』。カエルが案内人となり、日常生活から切り離せないテレビ文化に、様々な人がユーモラスかつ生真面目に切り込んでいく『テレビは誰のもの?』。撮影は、両作品とも『あなたはどこ?』(2003、YIDFF 2003 アジア千波万波)のR・V・ラマニ監督。