やまがたと映画
やまがたと戦後
嘘つきはドキュメンタリーのはじまり?
こどもと映画
幻灯は訴える
混沌の彼方にある「やまがた」を。
山形県とかかわりの深い作品、記録、監督、俳優、映画文化……。それらを改めて検証するプログラム「やまがたと映画」は、山形国際ドキュメンタリー映画祭2007で産声をあげた。それから8年。5回目の開催を迎え、本プログラムは新しい局面へと突入したのではないか。私はそのように考えている。
まずは、ラインアップをご覧いただきたい。一見したかぎり、山形県とのかかわりは薄い、もしくはまるで見当たらないように感じるのではなかろうか。
「いよいよネタに枯渇して、苦しまぎれで企画をでっちあげたのだろう」
「いや、これは担当者の趣味を前面に押し出した、公私混同に違いない」
残念ながら、いずれの答えも「ノー」である。
たとえば「やまがたと戦後」。空襲などの直接的な被害を受けていないために第二次大戦の傷跡が浅いと思われがちな山形県だが、実は戦前に国策として満州へ送り出された、通称「満蒙開拓団」の入植者数は約18,000人と、全国二番目の多さなのである。昭和20(1945)年にはソ連軍の侵攻に遭い、終戦までにおよそ半数の人々が命を落としている。痛ましい戦禍の傷は、この地にも深く爪痕を残しているのだ。
そして、フェイク・ドキュメンタリーと呼ばれるジャンルを通じて、ドキュメンタリーとはなにか、虚構と事実の関係性を問うプログラム「嘘つきはドキュメンタリーのはじまり?」もまた、山形と無関係ではない。上映作品のひとつ『森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』は、テレビ東京で2006年に放映されたものだが、プロデューサーの替山茂樹氏によれば、この作品は、イスラエル人監督アヴィ・モグラビのドキュメンタリー映画『ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ』(YIDFF '99にて上映)に刺激を受けて製作されたものであるという。アヴィ・モグラビは本映画祭と深いかかわりを持つ映画監督である。現実に触発されて生まれた虚構……その繋がりが山形にあったとは、なかなか興味深い事実ではないか。
他のプログラムもまた、山形県の歴史文化、そして本映画祭と複雑に絡み合っている。丹念に探っていけば、いずれの作品からも、山形とのかかわりを見出せるはずだ。とはいえ、前回までのノスタルジックなラインアップから大きくかけ離れた内容に戸惑いをおぼえ、混沌とした作品群に二の足を踏む方もいるだろう。しかしいま一度考えてほしい。混沌とは、新たな未来を築くための通過点ではないか。新しい答えを導くためのターニングポイントではないか。
そう、我々は“過去の山形を懐かしむアルバム”から、さらに一歩踏み込んで、未来の山形へ繋がるバトンを探す行程に入ったのである。混沌の先に見える“新しいやまがた”を「やまがたと映画」のなかに発見してもらえれば、これに勝る喜びはない。