English

アラブをみる――ほどけゆく世界を生きるために


レバノン・パレスティナ 40s−80s――16mmフィルムが捉えた風景

共催:笹川平和財団 笹川中東イスラム基金


ほどけゆく世界を生きるために

 最近、アラビア語を学び始めた私は、アラビア語で綴られる数字をインド数字と呼ぶことを知った。イラク人講師のA先生が言うには、インドで発明された記数法がアラビアで取り入れられた頃の呼び名がいまも使われているとのことだ。そして、アラビアで使用されていた記数法がヨーロッパへ伝わり改良され、現在一般的に使用される算用数字のアラビア数字が生まれたのである。アラビアの数字はインド数字で、ヨーロッパの数字はアラビア数字。私は、数字をめぐるこのややこしい命名に虚をつかれ、日々アラビア数字を使いながら、その呼称の背景に一度も思いを馳せたことのなかった自分の不明を恥じた。

 前回の映画祭で、“アラブの春”と呼ばれた民衆蜂起をめぐりアラブの人々の考えや行動を考える端緒についた私は、アラビア語を学びつつ再びアラブ世界と向き合う機会を得た。引き続き、“アラブ”に対する自らのまなざしを問い、アラブ世界に暮らす個々の人々や映画作家たちが何をまなざしているのかを映画のなかに問う試みである。今回は、いまのアラビア語圏を描いた新作6本と、1940年代から80年代までのレバノン、パレスティナの風景の変遷が見える旧作4本を通して、新たな人々の繋がりの可能性を模索するというテーマを掲げてみた。

 新作のうち、『アスマハーンの耐えられない存在感』でアッザ・エル=ハサンは、パレスティナ人として生まれヨーロッパで教育を受けた自分を見つめつつ、アラブ世界のヨーロッパに対するまなざしを問い、『子のない母』でナディーン・サリーブは、古い慣習の残る地域に暮らす女性の生き方について、ジェンダー的な視点を超え個人の死生観を捉えることに成功している。ダリーラ・エッナーデルの『城壁と人々』では、“王様万歳”と言いながら現状と将来への不安を語る人々の声は“神の視点”によって重層的に掬いとられ、『離散の旅』でヒンド・シューファーニが示す、離れて暮らさざるを得ない父親への深い愛情は、かえってパレスティナ人の離散の歴史を際立たせる。『シリアの窓から』では、強権的な国で自己を抑制しながら育ったハーゼム・アル=ハムウィの自由への強い希求が描かれ、『シリア、愛の物語』でイギリス人監督のショーン・マカリスターが捉えるのは、反政府活動家夫婦による政治活動ではなく、彼らの愛と断絶である。

 いずれの作品も作家の真摯な試みが、見る者の先入観をあっさりと覆し、深い思考を促す力作だ。併せて、旧作4本に描かれる風景の大きな変貌を見ることが、いまを生きるための思索を続ける一助となることを願い、プログラムを組んだ。近代国家の紐帯がほどけるに従い、反動的に統制への欲望が強まっていくような複雑な世界を生きるために、アラビアでインド数字、ヨーロッパでアラビア数字がそのまま生き残ったように、豊かな知性と技術の緩やかな所有と交換によって国境を越えた繋がりが生まれる可能性を、アラブ世界をみることで夢想しつづけたいと思っている。

加藤初代(プログラム・コーディネーター)