審査員
牧野貴
●審査員のことば
2002年から12年までの間、ハイビジョンテレシネ日本第1号機の稼働メンバーとして某ポストプロダクションに招集された私は、様々な時代や背景を持った数知れぬ映像を、毎日浴びるように、ひたすらデジタル化していました。その中で忘れ得ぬ映像があるとすれば、それはやはり第一次世界大戦から第二次大戦終戦後まで続いた、旧日本軍により制作されていたニュースフィルムの映像です。
テレビが一般に普及するまで、映像でのニュースは映画館で観るものでした。映画館で観る映像というものは、観客の精神に非常に強く、忘れ難い印象を焼き付けます。演出された壮大な嘘も、捏造され神格化された偶像たちがスクリーンに浮かび上がるその姿をも、あたかもエンターテイメントのようにさえ表現してしまう恐ろしさがあります。真実も嘘も、映画になった時点で既に曖昧になってしまう。それだけ映像と音楽が本来持つパワーは凄まじいものです。
暗闇で映像と音を観るということは、観客にとって危険な行為であると言えるとさえ考えています。特に日本人は、映画に踊らされ騙され続け崩壊したという恥ずべき歴史を有しています。今はもう日本にプロパガンダ映像はないだろうかと世間を見渡してみると、ニュースにも劇映画にもドキュメンタリー映画と呼ばれるものにも、まるで戦前のような稚拙な情報操作が未だに顔を出すケースが多々見受けられます。
映画が芸術たり得るために、自分に何ができるだろうと常々考えながら生き行動してきましたので、今回山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員を担当させていただけること、大変嬉しく思っています。これからこの世界では、どのような映画がドキュメンタリー映画と呼ばれ制作され評価されて行くのか、そこに最大の興味があります。
2001年、日大芸術学部映画学科撮影コース卒業後、単身で渡英しブラザーズ・クエイに師事する。以後、舞台照明の仕事をしながら全国を旅する。2002年からテレシネカラーリストとして活動。2004年より単独上映会を開始する。以後、ロッテルダム国際映画祭タイガーアワード受賞等、多数の国際映画祭、音楽祭、芸術祭等で活躍する、気鋭の映画作家である。実験的要素が極めて高く、濃密な抽象性を持ちながらも、鑑賞者がそれぞれの物語を感じられる、有機的な映画を制作し続けている。
2012
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日本/2013/ダイアローグなし/ カラー/Apple ProRes File/30分
監督、撮影、編集:牧野貴
2012年という1年を通じて上映のたびに映像と音楽を変化させ、制作され続け完成した作品。フィルムによる映像から、途中デジタルの素材へと移り変わる様は、今日の映像文化を取り巻く様相をも暗示する。上映時、観客は減光フィルターを着用し、減光遅延法による3D作品として鑑賞する。YIDFFでは、監督自身が音楽の再構築を行う一回限りの「映画」上映となる。
cinéma concret
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日本、オランダ/2015/ダイアローグなし/ カラー/Apple ProRes File/24分
監督、撮影、編集、提供:牧野貴
音楽: Machinefabriek
1940年代にピエール・シェーファーが提唱したミュジーク・コンクレート(具体音楽)は、抽象的な音像から具体的な音楽を創ることではなく、既に存在している具体的な音像から、抽象音楽を形成することを目的としていた。本作は、牧野自身の映画制作に著しく通じるその方法論に対してのひとつの応答であり、現在の抽象映画、実験映画に対してのひとつの皮肉な解釈でもある。