English

銀の水 ― シリア・セルフポートレート

Silvered Water, Syria Self-Portrait

- シリア、フランス/2014/アラビア語/カラー/DCP/92分

監督、脚本:オサーマ・モハンメド、ウィアーム・シマヴ・ベデルカーン
撮影:ウィアーム・シマヴ・ベデルカーン、約一千人のシリア人、オサーマ・モハンメド
編集:マイスーン・アサード
追加編集:ダニ・アボ・ロウ、レア・マッソン
音楽:ノーマ・オムラン
整音:ラファエル・ジラルド
ミキシング:ジャン・マルク・シック
製作会社:Les Films d’ici、Proaction Film
配給:Doc and Film International www.docandfilm.com

亡命先のフランスで、故郷シリアの人々の置かれた凄惨な実状に、疎外感と無力感を抱きながら苦悩し続けていた監督。苛烈を極める紛争の前線で繰り広げられる残虐な拷問や、殺戮現場をとらえたショッキングな映像が日々YouTubeにアップされ、彼はただそれらを繋ぎ合わせることしかできない。そんな彼に、SNSを通じて知り合ったホムス在住のクルド人女性監督は問いかける。「もしあなたのカメラがここにあったら、何を撮る?」――その瞬間から二人の「映画」が始まった。女性監督は彼の耳目となり、カメラを廻す。「映画」に約束された二人の出会いの物語。



【監督のことば】私は、この映画は作らなければならないと確信していた。実際、ずっと包囲されているような感情を個人的に抱いていた。自分がシリアの外におり、シリアで人々が殺され続けているのは受け入れ難いことだった。犠牲者の数が着実に増えていくなか、私は同胞たちの発言や自由への訴えを見守ってきた。ここでの「同胞」とは、革命を起こしたシリアの青年たちのなかに見た美の泉のことを指している。私は、事あるごとに「同胞たちのために、自分に何ができるだろうか?」と自問自答しながら、暗く、苦しい時を過ごしていた。他ならぬこの時期に相応しい、創造的で、芸術的な言語を作り出そうと、私はアラビア語紙に多少の記事は書いた。でも、それでは充分でなかった。

 そんなとき、YouTubeで青年が逮捕され、拷問される場面を見た。私はこれを自分の「原初のシーン」と呼んでいる。こうした映像は暴力の手本としての役割も果たすが、しかしまた、シリア革命の引き金を引く何らかのきっかけにもなった。実際そのシーンは、どうにかこの映画に取り込まれることとなった。

 パリで、ホムスにいるシマヴから最初のメッセージを受け取った。それは私には極上の文学作品のように読めた。自分自身の初めての映画を作ろうとしていたこの女性は、私に聞いてきた。「もし、あなたがここにいたらどうする? どこから始める?」

 オンラインに氾濫するあり余るほどのイメージ群が、日々の恐怖を物語っていた。

 何よりもまず、YouTubeなどで「映像」――自分たちの心の内を表現しようとし、生き残ろうとし、助けを求めている人々の――が溢れ、それらはすべて、(無名の)若きシリア人たちによって撮られたものであった。

 映画の歴史がもう一度、シリアで始まるかのようだった。クローズアップや広角撮影、トラッキング・ショットでもって、彼らがあたかも映像言語の全体までをも再発明するかのように見えて、私は魅了された。真実の瞬間、死に近い瞬間、非常時の瞬間において、表現しなければという思いは否応なく高まっていく。撮影を始めると、人はよりいっそう、自分が生きていることを実感するからだ。

 だから、シマヴからのメッセージを受け取り、さらにいくつかの映像が送られてきたとき、私はこの映画を実現しなければいけないと感じたし、彼女から受け取った無数の無名のイメージ群から誰か=作家が生まれてきていると感じた。孤独な時期を脱け出した私は、シマヴに伝えた――「君は私を救ってくれた」。

オサーマ・モハンメド


- オサーマ・モハンメド

1954年、ラタキアに生まれる。ロシア国立映画大学(VGIK)を1979年に卒業したが、後に2013年のベルリン映画祭で上映される短編映画『Khutwa Khutwa』を1978年に制作した。1988年に彼が制作した最初の長編劇映画『Nujum al-Nahar』は評価が高く、カンヌ国際映画祭の監督週間に選ばれ、バレンシア映画祭のゴールデン・パームを受賞した。同作はしばしば、バース党が支配するシリア社会への最も痛烈な批判であると見なされているが、シリアでは上映されたことがない。2002年になってようやく制作された2作目の長編映画『Sunduq al-Dunya』はカンヌ映画祭の「ある視点」部門に選ばれた。



- ウィアーム・シマヴ・ベデルカーン

ホムス市出身のクルド系シリア人女性映像作家。彼女が制作した以前のドキュメンタリー作品は、シリアでの身の安全を確保するため、過去3年間、アラブ地域では別名で上映されてきた。