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YIDFF 2015 インターナショナル・コンペティション
インターナショナル・コンペティション審査員
牧野貴 監督インタビュー

映画を信じる気持ちが伝わって、暗闇の中で涙が溢れた


Q: 山形映画祭に初めての参加で、審査員を務められました。実験映画作家として知られている牧野さんが参加することに、山形映画祭の面白さがあると思うので、今回はご本人の映画づくりについても聞いていきたいと思います。まずは、どういったお気持ちで映画祭に臨みましたか?

MT: 審査員として参加することが決まった時点で、相当のプレッシャーと心配がありました。なぜかというと、自分はドキュメンタリー映画作家ではないからです。山形映画祭は、社会的、政治的な作品が多いし、「ドキュメンタリーはこうだ」というものがきっちりある映画祭だと思っていましたので、審査員は荷が重いと感じていました。

Q: 実際に参加されてみて、その印象は変わったのでしょうか。率直な感想を教えていただきたいのですが?

MT: 多くの既存のアジアの映画祭には作品の選択に映画祭独自の視点が無い事が多いのですが、山形映画祭は全然違いました。インターナショナル・コンペティションに入っている作品の選別が既にチャレンジングで、多岐にわたっていると感じました。審査員としては、とても難しい課題を与えられたということです。審査員の4人がみんな映画の作り手だったことも、僕には面白くて。それぞれが自らの信念で映画をつくっているから、意見も全然違いますから。自分はとにかく頭をオープンにして作品に触れ、作者が何を思ってこの映画を創ったのか、そして映画の構造を技術面からも評価していきました。

 ドキュメンタリー映画という、既に存在しているようで実は存在していないような曖昧な価値観や枠はありますが、こういうクリエイティブな映画祭を見にくる人たちがいること自体が嬉しいですよね。東京で上映する作品もあると聞いていますが、もっと多くの人たちが見るべきです。作り手たちはどんな状況でも、自分たちの映画を信じています。そういう気持ちが胸の奥深くに痛いほど伝わってきて、急に暗闇の中で涙が溢れ出て来る事もありました。心の奥底でつながるような友情を感じて、皆映画を信じて制作して、上映しているという状況が嬉しかったんです。こんな貴重な体験はなかなか出来ないと思います。

Q: インターナショナル・コンペティションに選ばれた作品はバラエティに富んでいましたが、審査するうえで議論になったことはありましたか?

MT: 「そもそも、『ホース・マネー』はドキュメンタリーではないのではないか」という議論があったことも確かです。ただ、最終的には、映画としてのアプローチの仕方、映画を組み立てる時の思想やオリジナリティに重点を置き、評価しました。それは「フィクションかノンフィクションか」という次元ではありません。そういった枠組みを超えて、映画を描くということの強さです。賛否両論はあるでしょうが、それはいい作品の条件でもあると思います。作り手の新しいチャレンジを評価しようと思いました。『祖国 ― イラク零年』や『銀の水 ― シリア・セルフポートレート』のような、多くの人に見てもらいたいと感じた作品の評価は外せませんでした。ただ、編集や撮影の技術、作品としての完成度が勝てないこともある。それを作り手も知るべきだとも思うのです。

Q: 牧野さんご本人は、そもそもドキュメンタリー映画をどのようにとらえているのでしょうか?

MT: 「ドキュメンタリー映画とは何か」という問いは昔からありますが、常に更新していっていいものだと思うのです。いまや、ジャンル自体が崩壊している。僕自身、実験映画をつくりたいと思ってやっていません。既存のジャンルを肯定するところから、新しい作品は生まれてこないのではないでしょうか。

 2000年代に入ったあたりから、わざわざフィルムで撮らなくても、商業映画と変わらない機材で映画を制作することができるようになりました。自分としては、映画が個人で創れるようになって、そのことが映画の解放にもつながると考えていたんです。だけど、その後、映画がもっと面白くなると思いきや、そうでもないじゃないですか。絵描きが絵を描き、写真家が写真を撮るのと同じように映画を創ることができれば、今まで見えたことがない映画が見えてくるだろうと期待していたのですが、どうも周りにそういう動きが見当たらない。それなら自分でやろうと思って、今までやってきたわけです。

Q: ドキュメンタリー映画作家の場合、現実に起こったことや出会った人たちを題材にとることが多いですよね。牧野さんは、映画づくりにおいてどういったアプローチの仕方をとっているのでしょうか?

MT: 最も重要なのは、スクリーンと人間の関係です。その関係の中で、どこまでも自由でいたい、自由なイメージをつくりたいという気持ちがあります。“ものがたり”とはまったく別のもの。確かにそこに存在するけれども意味は分からない、ただひたすらに感動的であるようなものです。たとえば、徹夜して朝焼けを見ると無性に美しい。だけど、朝焼けそのものに意味はありません。そういう自然現象に近い感動をつくることができればいいと思っています。それは17歳の時から考えていることです。その辺の花であっても、見る人が違えば、自分が変われば、見え方は変わってきます。映画が1つの答えしか導かないのならば、それは芸術ではないとさえ思います。“分かる”とは真逆のことをやりたいのです。そもそも自分が生まれた理由も分からないのに、映画が分かるなんて、あってたまるものかと。ドキュメンタリーとか、フィクションとか、そういう概念に入らない、束縛されていない映画を創っていたいです。

Q: “概念”に対する猜疑心があるのでしょうか?

MT: 映画芸術は既存の概念、想像力を拡張する事が出来るものだと思っています。それなので、僕は政治的なプロパガンダ映画が死ぬほど嫌いなのです。僕自身、政治的なことを作品の中で表現しないけれど、政治的な考えや思想がないわけではありません。ただ、政治的な動きに左右されたくない、民衆の動きにも流されたくないのです。もっと言うと、集団行動というものそれ自体を全て疑ってしまうというクセが有ります。

Q: どうしてそこまで自由に憧れるのでしょう。束縛された経験があるのでしょうか?

MT: 幸せな家庭に育ちましたよ。ただ、5歳の頃に交通事故に遭って、頭蓋骨と背骨が折れて、足から肉が飛び出て、手の上にタイヤが載っているという、ほぼ死ぬような体験をしました。その時、一生忘れられないような、ものすごい幻想を見ていたんです。その死ぬ間際に見た映像が強烈すぎて、今までに見たどの映画もそれに近づかない。根源的には、その時に見た幻影に近づきたいという思いがあります。自分が生きているうちに見たい、創りたい映像がいくつかあるのです。

Q: 最新作の『cinéma concret』は、自由をどこまで突き詰めるかという意味でチャレンジングな作品とおっしゃっていましたが?

MT: 17歳で映画づくりを始めてから、多重露光に興味が沸いて、それからずっと同じ手法で作品を創っています。今では、自分が撮影できる対象がすごく増えました。フィルムでは映像を5〜6回重ねるのが限界でしたが、デジタルで編集することを覚えてから、それが際限なくできるようになりました。『cinéma concret』では最大で200回以上重ねています。具体物から始まって、抽象を経て、さらにその抽象で具体性を持った抽象をつくるというチャレンジをしました。

 でも、もうちょっといじりがいがあるんです。『cinéma concret』を創り上げたことで、また新たに作品を創り続けることができそうだなという気がしています。実は過去に、子どもの時に見た幻想に近いものができたこともあって、その後、自分に何ができるのか相当悩んだのですが、それでも探求は続けようと思い直したんです。今では、その幻想はとっくに超えていて、純粋に映画づくりを楽しみはじめているのかもしれません。これからどこに到達するかは分かりません。これまでの作品はきっとどこかへ行くための過程なのだと思っていますから、最終的にとんでもない映画を創りたい、創らなきゃいけないと思っています。

Q: 最後に聞いておきたいのですが、山形映画祭をさらに良くしていくために必要だと感じられたところはありますか?

MT: 感じなかったですね。このままどんどん行けばいいと思います。参加してみて気づいたのは、この映画祭自体が、ドキュメンタリー映画を通じて、映画の芸術性を高めているということです。これほど芸術的な映画祭はなかなかありません。本当に誠実すぎる映画祭だとも思いました。ただ誠実すぎるといって、キャッチーな作品を選んだりすることはしないほうがいいでしょう。だって、ここまで世界的に有名になってしまった映画祭ですから。素晴らしい映画祭だと思いますし、ものすごい自信を持って続けてほしい映画祭だと思っています。

(採録・構成:沼沢善一郎)

インタビュアー:沼沢善一郎、黄木可也子
写真撮影:黄木可也子/2015-10-14