パラグアイ、記憶の断片
Paraguay RememberedMemoria desmemoriada
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フランス/2015/フランス語、スペイン語/カラー、モノクロ/DCP/89分
監督、脚本、撮影、録音、ナレーション:ドミニク・デュボスク
編集:ドミニク・デュボスク、ベルナール・ジョシ
音楽:ホセ・アスンシオン・フローレス、ペレス・パラルタ
製作:ダニエル・グローグ
製作会社、配給:Kinofilm
dominiquedubosc.org
あるひとりの記録映画作家が40年ぶりにパラグアイを訪れた。旅の途中、忘れていた記憶が断片的によみがえる。彼が映画作家となる道を見出したパラグアイの記憶は、アルゼンチンで出会った女性との恋愛の記憶へとつながっていく。さらに、個人的な記憶は独裁政権下の抑圧の記憶と絡み合い、過去は現在の風景と鏡のように反射し合う。モノクロ基調の映像と内省的なナレーションで綴った、不完全な記憶をめぐる私的映像詩。
【監督のことば】大半の人々は、学業を終え、就職や結婚というかたちで、青春に区切りをつける不可視線をまたぐことになる。私がその線をまたいだのは、1968年にパラグアイで最初の映画を作ったとき、そしてその数ヶ月後、アルゼンチンで愛を発見したときのことだ。
私の人生のなかで忘れられていた時期――そしてストロエスネルとビデラの恐ろしい独裁を忘れることはなかったこの時期が、アスンシオン映画祭に招待され、あてもなくカメラを廻していた私の脳裏に、40年の時を経てよみがえってきたのである。
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いわば、この映画は作るつもりがなかったとも言えるのだが、ともかく、その完成形を思い描くことはできなかったわけだ。この映画はもっぱら、私が撮影した鮮烈な印象、俳句の連なりにも似た数々の印象から成り立っている(川の水面低く、水葵の葉ももはやない/いち早く起きた長兄、腋かきつつも十字を切る)。動機という動機は、はじめからこれしかない。いまだにそれは私のいるところ(今、ここ)を示すべく、映画の中で作動している。
もちろん、こうした印象の多くは、はるか昔にパラグアイやブエノスアイレスで私が過ごした年月と何がしかの関わりがあったもの(若き記憶にある、人喰鮫のごとき死の飛行機群/樹上に逃げ込む鶏たち、それまでにあえなく果てた幾千羽/水上の小屋で共寝し、その下の川を流れていった夏)であるし、だからこそ、撮影した素材からひとつの素描が浮かび上がってきたのである。愛についての話は当初から浮かんではいたが、それを映画全体に織り込むことができたのは、編集作業の最終段階のことであった。
1941年中国生まれ。フランスとイギリスで教育を受ける。主な監督作品に『LIP or the Sense of Working Together』(1976)、『The Filmmaker or Novel of a Childhood』(1989)、『The Letter that Was Never Written』(1990)、『Celebrations』(2000)、『Palestine Remembered』(2002−04)などがある。