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YIDFF 2009 アジア千波万波
ここにいることの記憶
川部良太 監督インタビュー

写らないから、カメラを廻す


Q: このような映画を、撮ろうと思った経緯を教えてください。

KR: この作品は、1997年の5月の設定で撮っています。それは、“酒鬼薔薇事件”(神戸の連続児童殺傷事件)が起きた時です。私はこのように、大きな事件が報道されるのを見て、いつもそれについて考えさせられるのですが、その事件が起きた場所や、事件の関係者を撮るというのは、何か違う気がするんです。もっとその事件や問題を、自分のものとして、自分の力で考えていくための過程こそ、作品にしていきたいのです。日本を騒然とさせた事件の裏で、もし、誰にも報道されることなく、このような事件が起きていたらどうだったのだろう、という好奇心が、はじまりでした。

Q: 作品の中で、出演者が台本を棒読みしています。なぜ、このようなスタイルにしたのですか?

KR: 前作の『家族のいる景色』(2006)を撮った時に、自分の日常の家庭生活の中に、“問題”を持ち込んで、映画を撮ってみることをやりました。その時、撮ろうとしていたものに、家族が近づいていくことよりも、むしろ映画のほうが、家族に近づいてきたように思えました。“団地”は、私自身とは全く縁のない場所で、出演者も初対面の人ばかりです。“川部良太の失踪”はフィクションだけれど、彼らに、そのフィクションを作りあげて欲しかったのではなく、彼らに読んでもらうことによって、そこに何か、フィクションを越えたものが、生まれてきてくれるのではないか、という期待があったからです。

Q: この作品には、多くのスチール写真が使われています。映像と写真とで、“ここにいることの記憶”と、“ここにいないことの記憶”を表現しているように感じましたが、どうでしょう?

KR: 私は以前から、映像と写真には違った要素があると、考えていました。映像は、現在進行形の印象を与え、写真は、すでに過ぎ去った過去として、観ている人に伝わるものだと思います。この映画を撮ろうと考えた時に、そのふたつの要素を、共存させた映画にしたいと思いました。振り返るだけの作品でもなく、ただ結果だけを考えるだけの作品にも、したくなかったからです。いつも、原因と結果ではなく、その間の部分を、表現したいと考えています。また、普段から、観ている人に一定の感覚で映像を見続けさせないように、映像の中に取り入れられることは、できるだけやってみたいと思っています。

Q: 前作に引き続き、“不在”をテーマとしたのはなぜですか?

KR: “いないこと”を撮ることには、とても関心があります。不在は、その対象がいないわけだから、カメラを直接向けることはできません。写すことができないものに向かって、カメラを廻したいという気持ちが常にあるんです。私はいつも“記憶”を意識しています。痕跡として残るものはありますが、そうではない、残らなかったものを見てみたいという気持ちです。今回の作品で言えば、実際に写された団地の住人ではなく、写されることのない“カワベ・リョウタ”、“記憶”としての“カワベ・リョウタ”です。

(採録・構成:高田あゆみ)

インタビュアー:高田あゆみ、飯田有佳子
写真撮影:飯田有佳子/ビデオ撮影:加藤孝信/2009-09-21 東京にて