ワイルド・ワイルド・ビーチ
Wild, Wild BeachZar nezhnykh. Dikyi, dikyi plyazh
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ロシア、ドイツ/2006/ロシア語/カラー/ビデオ/125分
監督、脚本:アレクサンドル・ラストルグエフ、ヴィタリー・マンスキー、スサンナ・バランジエヴァ
撮影:エドワルド・ケチェジヤン、パーヴェル・コストマロフ 編集:ダーシャ・ダニーロヴァ
録音:ゲオルギー・マシュコフ、ゲオルギー・ヤルモレンコ、ドミトリー・ズィミン
音楽:ピョートル・ナザレトフ、アレクサンドル・パンチューヒン
コミッショニング・エディター:ユッタ・クルーグ(WDR)
製作:ヴィタリー・マンスキー、ナターリヤ・マンスカヤ
共同製作:ハイノ・デッカート
製作会社:ヴェルトフ&Co、マ・ヤ・デ・フィルムプロダクション、WDR(YLEテレビ2ドキュメンタリー共同)
配給:デッカート・ディストリビューション
夏のヴァカンスで人が溢れるロシアの海岸。明るい太陽のもと開放された人々は快楽、金、権力など欲望に目をくらませている。観光客目当てにラクダを遠路はるばる移送する写真屋、酔いどれ老女、ラップを歌う老人、女と見れば口説き回る太っちょとノッポのふたり組、プーチン大統領の訪問。混乱するロシアの今が風刺画のようにアップテンポに描かれていく。
【監督のことば】10年前にロシア南部を訪れたとき、黒海の岸辺を散歩してみた。太陽が地平線の向こうに沈み、あたりが真っ暗になると、突然、風変わりな小さな街が目の前に現れた。そこにはアパートがあり、バーがあり、店、カジノ、それに遊園地もあった。唯一その街が他と違うのは、すべての建物が段ボール箱とベニヤ板でできていたことだ。実際にそこで過ごしたのは1日だけだったが、夢の中では何度も訪れた。そこはまるで、博物館にあるような模型の街に、本物の人間が住んでいるかのようだった。この場所のもうひとつ面白い点は、住人がみな裸でいることだった。文字通りの意味でも、比喩的な意味でも。数年後、その街についてのドキュメンタリー映画『Broadway. Black Sea』(2002)を製作し、好評を博した。しかし、その映画が成功しても、まだ伝え残したことが多くあるという思いが消えなかった。その後、同僚のアレクサンドルとスサンナを説得し、この奇妙な場所をもう一度映画に撮ることにした。ふたりに『Broadway. Black Sea』を見せ、作品のヒーローである映画に登場している人々も紹介した。
私たちは、7月から10月まで、一夏中、黒海の沿岸で過ごした。そしてついに、6時間ヴァージョンの『ワイルド・ワイルド・ビーチ』を完成させた。ドストエフスキーやゴーゴリの流れを汲む、本格的な映画小説(シネマトグラフィック・ノベル)だ。それから1年かけて、きわどいシーンを含むこの長い映画のために格闘し、ついに降参して125分ヴァージョンに編集しなおした。観客のみなさんもあの長大な映画と熱狂が果てしなく続く海岸の街を、想像して、心の中に再現してもらえたらと思う。私たちにとってあの街は、どこか現代社会の狂乱の縮図のように感じられる。
ヴィタリー・マンスキー
アレクサンドル・ラストルグエフ 1971年、ロシア、ロストフ・ナ・ドヌー生まれ。地元の州立大学で言語学、サンクトペテルブルク舞台芸術アカデミーで映画製作を学ぶ。主な作品は『Good Bye, Boys』(1997)、『Maundy Thursday』(2002)等。 ヴィタリー・マンスキー 1963年、ウクライナ・リヴォフに生まれる。VGIKメジンスキー・スタジオ卒。ロシアを代表するドキュメンタリー映画作家。1945年から1991年までのアマチュア・ホーム・ムービーを集めたアーカイヴを、またドキュメンタリーのオンライン・ジャーナル(www.vertov.ru)を立ち上げる。『青春クロニクル』(1999)はYIDFF 2001で上映した。 スサンナ・バランジエヴァ ロシアのロストフ・ナ・ドヌーにある州立大学でジャーナリズムの学位を取得。アルメニアで雑誌『Literary Armenia』の編集者を務める。1997年からラジオ局Don-TR勤務。100以上のテレビ脚本を手がける。本作が監督デビュー作。 |