アレンテージョ、めぐりあい
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ポルトガル、フランス/2006/ポルトガル語/カラー、モノクロ/ビデオ/105分
監督、脚本、編集:ピエール=マリー・グレ
撮影:ブルーノ・フラマン
録音:フランシス・ボンファンティ、ジョアキン・ピント
製作:パウロ・トランコーゾ
製作会社:コスタ・ド・カステロ・フィルメス、アタノール、ザラファ・フィルムズ
配給:コスタ・ド・カステロ・フィルメス
1950年代後半、ポルトガル現代詩の若き雄アントニオ・レイスと、ポルトガル民族音楽のコルシカ人研究者ミシェル・ジャコメッティ、そして映画監督のパウロ・ローシャたちが、ポルトガル南部アレンテージョ地方ペログアルダ村民の歌に魅せられて次々と村を訪れた。村人と共有した彼らの記憶は詩・音楽・映画へと残っていった。パウロ・ローシャの映画を挿みながら、レイスたちが通った道や真紅の花で飾られた野原、静かな海と村のたたずまい、哀しみをたたえた歌や詩が情感たっぷり流れる。今、彼らの記憶が村人の息吹で蘇る。
【監督のことば】ポルトガル大衆文化史の記憶をすくいあげたコルシカ人、ミシェル・ジャコメッティに捧げた前作『Polifonias』を完成した時、私の前に開かれた道のいくつかを辿りたいという思いが生まれた。当時は詩人であったアントニオ・レイスのいたアレンテージョ地方ペログアルダ村は、ミシェル・ジャコメッティが埋葬されることを望んだ地でもあった。また、映画の物語とそこに現実として描かれるフラドウロの漁師たちの共同体の終焉とが交錯することに強く惹かれて、パウロ・ローシャの『新しい人生』のような作品をこの地で作りたいとも思っていた。
徐々に、私にとって映画のある側面を奥底で形成するものが現れてきた。過去、過ぎ去った時間、失われた文化のこだま。だが、それを私たちが聴くのは現在であり、いまここで呼び声が響き渡ってくるのだ。消失を嘆き悲しむのでもなく、過去へノスタルジックに回帰するわけでも、過去の断片を現在に埋め込もうとするのでもない。記憶から発して、生きているものに場を残すことに価値があった。そのことで、映画が私にとって時間と奇妙な関係を取り結ぶものとなる。異なる「歴史的な」時間が互いに混ざり合い、ぶつかり合うのであれば、時系列にしたがうことに意味はない。日付さえも重要ではないだろう。過去が従来あった姿では、もはやなくなるのだ。
映画のなかでリズミカルに回帰するセルジオ・ゴディーニョのテキストがこの作品をよく説明していると思う。「人は死ぬ時、遠くから来る何かに出会うという。はるか彼方からの声を聞き、我々はひとりではないのだと、心やすらかになれる。見知らぬベンチに親しむのと同じだ。死者への思い出は記憶をたどる道。記憶の謎とは? 感情を消しては書き直す人生の記憶」。
ピエール=マリー・グレ 1950年、フランスに生まれ、90年よりポルトガル在住。『アレンテージョ、めぐりあい』は2006年マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭で録音賞、マドリッド国際ドキュメンタリー映画祭07で審査員推薦佳作を受賞した。主な監督作は、『Mevlevi』(1970)、『Corps morts』(1972)、『Naissance』(1973)、『Un paysan des Alpes』(1973)、『Ô Gaule』(1974)、『Ici』(1975)、『Balade』(1978)、『Djerrahi』(1978)、『Site』(1980)、『Le chemin de l'architecture』(1981)、『Au Père Lachaise』(1986、ジャン=ダニエル・ポレと共同監督)、『Plage』(1987)、『Faits et dits de Nasreddin』(1993)、マラポスタ国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀ポルトガル・ドキュメンタリー賞を受賞した『Polifonias--Paci é Saluta, Michel Giacometti』(1997)など。オリジナル脚本、脚色も手がける。 |