紙は余燼(よじん)を包めない
Paper Cannot Wrap Up EmbersLe papier ne peut pas envelopper la braise
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フランス/2006/カンボジア語/カラー/ビデオ/86分
監督:リティー・パニュ
撮影:プラム・メサール
編集:マリ=クリスティーヌ・ルージェリー
録音:シア・ヴィサール 音楽:マルク・マーデル
製作:カトリーヌ・デュッサール、ジェラルド・コラス
製作会社:CDP、INA 配給:INA
カンボジア・プノンペン。娼婦になった女性たちの場所。彼女たちは客や雇い主のマダムから暴力を受け、エイズ感染など悪夢の日々を過ごしている。内戦の傷深く、腐敗したカンボジア社会の底辺に暮らす瀕死の魂たちへの鎮魂詩が奏でられる。それは冷酷で哀しく、時に美しい。
【監督のことば】「紙は余燼を包めない」――ある売春婦が言ったこの言葉は、貧困や家庭の事情から売春せざるを得ない状況に追い込まれた女性たちの悲惨な状況を一言で表している。何も知らずに田舎から出てきて工場での働き口を「買う」お金もない。雇い主や客による暴力にさらされ、家族からも蔑まれる日々。際限のない苦痛の報酬はわずか月80ドル。それも借金や罰金を払わされ、全額手に入ることはまずない。
プノンペンの街の真ん中でひっそりと5人の売春婦が暮らす二間のアパートには、プラスチックのゴザにタンス代わりのトランクのほか何もない。消費社会に溶け込みたいというかなわぬ夢を追って、手に入るわずかなお金も使ってしまう。彼女たちが言うこの「はきだめ」の生活から抜け出すことはほとんど不可能なのだ。
すべては1979年に始まった。何年も続いた内戦、クメール・ルージュによる虐殺、処罰されない犯罪、金を稼ぐための新たな競争、貧富の格差、絶えざる強者の暴力……。売春婦たちの語りを通じて、この作品は破壊されたカンボジアの今を浮き彫りにする。
この映画の語り部であるティーダ(愛称「ダ」)や彼女の仲間たちは、難民キャンプで育った戦後世代だ。死と人々の分裂が覆う世界で過去を背負ってもがいている。助けあい、友愛、正義の大切さとは? 自分たちはどこにいるのか? アイデンティティの持てない青春の未来は? 生きる支えとは? 彼女たちの問いは、今日1300万のカンボジア人の多くが抱えている問題だ。
「娼婦」たちはいつも沈黙させられている。統計やNGOの報告のサンプルとして扱われる人々、エイズや人身売買に対する闘いの影に身を潜めている人々、そうした人々の声に耳を傾けたい、別の視点で人々と向き合いたい、と私は思った。顔を見せ、声を聞き、名前を書く。バーやカラオケではなく、彼女たちの居場所で話を聞く。彼女らの言葉はまぎれもなく人間の声である。
リティー・パニュ プノンペン生まれ。フランス国立映画学院卒業。ドキュメンタリー及び劇映画を多数製作。作品歴にアミアン国際映画祭グランプリ受賞作品『サイト2:国境周辺にて』(1989)の他、『"NEAK SRE" Les Gens de la Rizière』(1994)と『戦争の後の美しい夕べ』(1997)の2本はカンヌ国際映画祭に出品、後者は1998年の東京国際映画祭でも上映された。その他に『ボファナ、カンボジアの悲劇』(1996)、『さすらう者たちの地』(2000)はYIDFF 2001でロバート&フランシス・フラハティ賞を、『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(2002)はYIDFF 2003で優秀賞を受賞。『アンコールの人々』(2003)もYIDFF 2005、『焼けた劇場のアーティストたち』(2005)は東京フィルメックス2005で上映され、2007年7月東京日仏学院で「リティー・パニュ特集 ―記憶への果敢な試み―」が企画された。本作は2007年度FIPAドキュメンタリー制作・実験部門で金賞を受賞した。 |