審査員
七里圭
●審査員のことば
誰もが動画を記録し、手軽に映像を扱えるようになった今、世の中の嗜好や指向は、「私たちの映画」に向かっているように思う。決して、孤高の作品や突き抜けた表現が力を失ったわけではないけれど、恐竜時代の感性だけではいられない。例えば、親密さについて、よりナーヴァスであることが大切なのかもしれない。もちろん「私たち」という気持ちは必要だし、好ましくないことではないけれど、そこに他者はいるのか、外部はあるかと問い直すことを忘れてはならないと思う。それでいいのか? と。これでいいのだという共感に対して、できるだけ用心深くいたいし、時には異物でありたい。
映画は現実とどのように切り結ぶことができるのか?
映像で世界を、人を、記録し記述することの「のっぴきならなさ」について、僕はまだまだよく知らないし、自覚が足りない。そのことを改めて深く気づかせてくれる映画と出会いたい。審査員としての指針があるとすれば、ただそれだけです。だから、たぶん僕は山形の会期中、ドキュメンタリーの大海に翻弄されて、めためたになってしまうのでしょう。
1967年生まれ。近年は、映画制作にライブ・パフォーマンスやワーク・イン・プログレスを積極的に導入する「音から作る映画」シリーズ(2014〜)、建築家と共作した短編『DUBHOUSE』(2012)など、実験的な作品作りに取り組んでいる。代表作は、人の姿をほとんど映さず声と気配で物語をつづる『眠り姫』(2007−16)。しかし、そもそもは商業映画の現場で約10年間助監督を務めたのちに、『のんきな姉さん』(2004)、『マリッジリング』(2007)など劇映画で監督をし、他監督へも脚本を提供している。PFF '85に大島渚の推薦で入賞した高校時代の8mm映画『時を駆ける症状』(1984)が最初の作品。
DUBHOUSE:物質試行52
DUBHOUSE: Experience in Material No.52-
日本/2012/ダイアローグなし/カラー/35mm/16分
監督:七里圭、鈴木了二
撮影:七里圭、高橋哲也
音楽:池田拓実
カラー:牧野貴
提供: charmpoint、311ドキュメンタリーフィルム・アーカイブ
2010年国立近代美術館における建築家・鈴木了二のインスタレーション「物質試行51:DUBHOUSE」の記録映画。建築が生み出す闇を捉えるという当初の意図は、翌年3月11日の出来事により決定的な変化を被る。七里は、展示作品を撮影した光の部分と同じ時間の闇を冒頭に置き、その中に、鈴木が描いた被災地のドローイングを沈ませた。映画館は、闇を内在した建築である。その闇から浮かび上がろうとする映画は、映画館に放たれる光であると同時に、祈りであるかも知れない。これはメタ映画であり、歴史的出来事への応答でもある。
アナザサイド サロメの娘 remix
Another Side / Salome's Daughter―Remix-
日本/2017/日本語/カラー/DCP/83分
監督:七里圭
テキスト:新柵未成
音楽:檜垣智也
撮影:高橋哲也、村上拓也、河合宏樹、本田孝義
録音、リミックス:宇波拓
写真:豊嶋希沙
出演:長宗我部陽子、黒田育世、飴屋法水、山形育弘、黒川幸則
声の出演:青柳いづみ、原マスミ、sei
提供:charmpoint
食卓に謎めいた書置きが残されている。「ちょっと山へ行ってきます」。あの夜、母は幼いわたしを連れて山に登った。わたしは「母」を巡る記憶の旅に出る……。「サロメの娘」と題する、母と娘と不在の父をめぐる長文詩の朗読をサウンドトラックに用いた2本目の映画作品。しかし、母とは、娘とは、父とは誰なのか。その自己同一性は、多声によるモノローグ、関係が判然としない登場人物たち、重層化する映像と音響のはざまで揺らぎ続ける。これは、踊りながら孤児たちが見た夢なのかもしれない。