審査員
ディナ・ヨルダノヴァ
●審査員のことば
尊敬すべき同僚たちの多くはいつも、齢を重ねれば重ねるほど、サイレント映画に関心が向くようになると言う。しかし私はそうではない。時とともに関心が強くなったものがひとつあるとすれば、私の場合はドキュメンタリー映画がそれにあたる。ドキュメンタリーのおかげで私は、世界とそのなかで起こる物事のありようと関わっていられるのだ。
映画を教える人間として日々行っていることのひとつに、映画を観るという行為がある。この30年の間に、本当にたくさんの映画を観てきたし、ジャンルや種類は問わなかった。けれども、ドキュメンタリーだけは常に特別な位置を占めていて、私にとって、その重要性は増すばかりだ。劇映画よりもドキュメンタリーを観るほうが性に合っていると、事あるごとに思い知らされるのである。昨年だけでも、舞台設定やコンテクストは様々ながら、ドキュメンタリー映画の力をまざまざと体験する機会に幾度となく恵まれた。テルアヴィヴのディゼンゴフ・センターでは、振付師オハッド・ナハリンを描いた『ミスター・ガガ 心と身体を解き放つダンス』を観て刺激を受けたし、トルコ・イスタンブール現代美術館では、写真家アラ・ギュレルについてのドキュメンタリーを観た。北京電影学院のキャンパス内にある劇場で観たスロヴェニア映画『Houston, We Have a Problem!』には目を開かれ、ギリシャ・テッサロニキのオリンピオン・シアターでは、ヴィタリー・マンスキーのウクライナ映画『Close Relations』も観ることができた。最近でも、6月にパリで、アニエス・ヴァルダとJRが共同監督した『Faces Places』を、見事に復元されたル・ルクソール劇場で、89歳の作者立ち合いのもとに鑑賞する機会があった。
ほかにも、アルメニアのアルタヴァスト・ペレシャンやシリアのオマル・アミラレイ、キプロス出身のマイケル・カコヤニスといった巨匠の古典作品、あるいはシリアのタラール・デルキやブルガリアのエルドラ・トレイコヴァらの話題の新作といった重要なドキュメンタリーを、オンラインで観ることもあった。
もともとバルカン地方出身である私は、この地域のドキュメンタリー作家たちの仕事に常々敬意を抱いており、なかでも、私がもっとも尊敬してやまない友人でもあるセルビアのベテラン監督ジェリミール・ジルニクについては、小規模チームによるアクティヴィスト型の映画制作の巨人だと考えている。近年でも、この地域出身の偉大なドキュメンタリー作家たち――たとえば、詩的映画を標榜するギリシャのメネラオス・カラマギオリスや、鋭利な社会分析を旨とするルーマニアのアレクサンドル・ソロモンなど――と個人的に巡り合えたことは、私にとって真に重要な出来事となっている。
アジア発のドキュメンタリーは、その重要作をすべて観るのは私には難しいとはいえ、繊細かつ奥深い作品を制作し続けている。先日、ロカルノ映画祭で王兵(ワン・ビン)の新作が受賞したという記事を読んだときは、私も大いに喝采を上げたものだ。彼は、私がその全作品に最高度の尊敬を捧げている映画作家でもある。
ヤマガタを来訪することに、私は長年関心を抱いてきた。映画祭についても、その歴史とそこで出会う人びとの素晴らしさについても、すでに多くの知識を吹き込まれている。特筆すべき感性と明察に満ちた映画を作ってきた国である日本へと旅に出かけることが、いまから待ち遠しくて仕方がない。
スコットランドの伝統あるセントアンドリュース大学でグローバル・シネマ講座の教授を務め、非西洋世界の映画的伝統やグローバル・シネマの力学を論じる執筆者として、これまでに20冊近くの編著書がある。グローバル・シネマの循環運動を主たる関心とし、その講義や講演は、カナダ、米国にとどまらず、ヨーロッパやアジア各地でも行われている。出自がブルガリアということもあり、バルカン半島や東欧、旧ソ連諸国の映画に関する著書や論文も数多い。世界各地を飛び回り、映画祭の世界に関わる仕事も手がけ、この分野における第一人者ともなっている。それは映画文化研究の新たな方向性を生み出し、育成する、学問的達成のひとつである。著作は20以上の言語に翻訳され、出身国の様々な博士課程学生たちとの共同研究も行っている。近年ではアジア地域への関心も深めており、2014年に釜山国際映画祭の審査員、2016年には北京電影学院の客員教授を務めたほか、間もなく香港大学の特別研究教授に就任することが予定されている。最新著書は『Cinema of Paris』(2016、仏語訳は2017)。ドキュメンタリーへの関心がとくに強く、オーガナイザーとして政治ドキュメンタリーに関するカンファレンスを開催したほか、最近ではテッサロニキ・ドキュメンタリー映画祭の審査員にも名を連ねた。