自我との奇妙な恋
A Strange Love Affair with Ego-
オランダ/2015/英語、オランダ語/カラー/DCP/91分
監督、脚本:エスター・グールド
撮影:ジャン・クネ
編集:カタリーナ・チューラー
録音:リック・メイヤー
音楽:マルク・リジエ
配給:Tondowski Films
自分に確固たる自信を持つ姉は、妹にとって常に眩しく憧れの存在だった。だが彼女のその過剰なまでの自尊心、自己愛、あるべき自己像への執着が、その人生を徐々に狂わせていく。妹である監督は、姉ローワンの自意識がどのようなものだったのかを知るため、彼女と交わした言葉をたどる。同時に3つの異なる年代、状況を生きる自信に満ちた女性たちにカメラを向け、その心のうちに分け入り、考察をめぐらしていく。他人が羨むような華麗な人生を送ることにますます価値が置かれ、実際の自分とのズレに苦しむ現代人の生きづらさ、社会生活の息苦しさを切実に描き出す私的エッセイ。
【監督のことば】私が「エゴ・ドキュメンタリー」を作ろうとは、思ってもみなかった。しかし、自信にあふれていたはずの姉ローワンが2007年に自殺してからというもの、私は自己愛について、見られたい評価されたいという欲求についての物語を語る必要があると強く考えるようになっていた。自分の憧れていたもの――ローワンは私の若い頃のアイドルだった─が何だったのかを理解したかった、揺れ動く自我の綱渡りをめぐる映画を作りたかったのだ。自己愛のかたまりのように見えた姉に、どうして自殺などということができたのだろうか?
本作の出発点は、私自身が自我の肥大した人たちに好感を抱いている、ということにある。私の周囲にはいつも、個性豊かで自分の意見を遠慮なく言うような人たちがいた。この視点から映画を撮れば、ナルシシズムという主題に新たな光を当てることができるのではないか――私はそのように考えたのだ。ナルシシズムの概念は、多くの場合、文化的・社会的な問題として記述されている。だが、私にしてみればそれは理論的な問題ではない。ナルシシズムが人間の原動力となることを、私はよく知っている。
私はこの物語を現代の神話として、『エヴリマン』のような寓話として語ろうとした。ナルシスの神話が語るのは、あまりに強い自己愛は、結局は淋しいことと同じであるがゆえに危険である、という教訓である。この映画は「パーティは沈黙を隠せない」という言葉で幕を閉じる。これはヴァージニア・ウルフのある一文をもじったものだが、この作家もまた――私の姉ローワンと同じように――、一方では知的な刺激や大都市での生活への渇望を抱え、他方で内面の平穏や帰属意識を求めるという、二重の想いに引き裂かれていたのである。
私が姉に抱いていたイメージにぴったりなのは――今ならそれが理解できるが――、夢を見続けようとするための自己構築であり、不屈の努力である。同じように、この映画において私の姉の代弁者となる人物たちもまた、自分のアイデンティティを構築している、つまりは自分自身の人生を「演じて」いる。願わくは、この映画が鏡のように作用して、それを観た人たちが、私たちは全員――多かれ少なかれ――「かまってほしいナルシシスト」であるという事実に向き合うきっかけになってくれたらと思う。これは、私たちがなぜ成功や名声やスポットライトに魅せられてしまうのかを理解しようとする試みなのだ。
1975年、スコットランド・ピーターキュルター生まれ。10歳でオランダに移住し、アムステルダムとニューヨーク(ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ)で映画とジャーナリズムを学ぶ。国際的評価の高い映画作家エディ・ホニグマンのもとでリサーチャーと助監督を務めた後、2005年より自身でドキュメンタリーを撮り始める。いくつかのオランダ公共放送局と共同制作した彼女の作品は、短編・長編・連作物を含め、世界各地で映画祭上映やテレビ放映がなされている。2016年には、『ヴァラエティ』誌の「見るべきヨーロッパ女性監督10人」に選出。最新作――6部からなる連作ドキュメンタリー『Debt Society』(2016)――は、テレビ放映されるや否や、増大する負債の問題とオランダの貧困をめぐって広く議論を巻き起こし、ヒット作となり、賞も受賞した。