機械
Machines-
インド、ドイツ、フィンランド/2016/ヒンディー語/カラー/DCP/71分
監督、脚本:ラーフル・ジャイン
撮影:ロドリゴ・トレホ・ヴィヤヌエヴァ
編集:ラーフル・ジャイン、ヤエル・ビトン
音響:スシュミト・“ボブ”・ナート
リレコ・ミキサー:アドリアン・バウマイスター
色調調整(カラリング):グレゴア・ヒューラー
製作:ラーフル・ジャイン(Jann Pictures)、イーッカ・ヴェヘカラハティ(IV Films)、タナシス・カラターノス(Pallas Film)
配給:Autlook Filmsales GmbH
経済成長著しいインドの巨大な紡績工場。ありふれた建物の外面とは裏腹に、その内部はどこまでも続く労働搾取の森である。カメラはベールに包まれた工場の奥へと深く分け入っていく。長回しで捉えられた労働者たちの姿は、劣悪な環境、鳴り止まぬ機械音と相まって、その場に立ち込む臭いや空気までも体感として観る者に突きつける。巧みなカメラワークが、その光景に“醜”を超えて皮肉にも“美”を宿らせる一方、そこにはグローバル経済下で続く不当な労使関係、子どもを含む出稼ぎ工場労働者を取り巻く過酷な現実が生々しく凝縮されている。
【監督のことば】5歳の頃、インド・グジャラート州のスーラトという街に祖父が所有していた繊維工場を遊び場にしていた。今はもうなくなっているこの工場は、通路が迷路のように張りめぐらされ、すぐに迷子になってしまった。身長90センチあまりの幼稚園児だった私は、いつも機械の存在に圧倒されていた。巨大な機械を前に、自分がちっぽけな存在であることを痛感したが、わたしはこの感覚に導かれ、20年後に同じような工場を訪れることになった――今度はカメラを持って。
昔の記憶は断片的に残っている。印刷機械が並ぶ通路に迷い込んだこと、工場のボイラー室から漂う石炭の匂い。おそらくそれが楽しかったのは、工場に入るのを禁止されていたからでもあるだろう。
子どもは高いところを見ようとするけれど、大人になると、それが奥行きの知覚に取って代わられる。同じ目の高さで世界を見ると、こうした自分なりのものの見方を選り分けて考えやすくなる。日々生活するなかでは、何かを介してものを見ることがないために、こうしたことは忘れがちだ。私は、カメラを介すことにより、この目の高さからシンプルに見えているものを明らかにしたい。ときに私たちはそこで見えているものをあえて認めようとしないし、見たくないものから目を逸らすのは簡単だ。そのため私は、映画をある種のキュレーション装置として活用し、じっくりと時間をかけながら、見たくないもののいくつかを直視することを目指した。
多くの工場を訪ねるうちに、私は自分の階級を意識するようになった。13億人いるインド人の一人としての自分のアイデンティティだ。多くの労働者は口を閉ざし、自分について語ってくれなかった。おそらく私が経営者の側の人間だからだろう。しかし、それでも大部分の労働者は、互いの違いを乗り越えて、自分が工場で働くことになったいきさつを話してくれた。私が幼い頃に10代で働き始めた人たちは、今はもう中年になっている。彼らの何人かは、私の名前を覚えていた。私は何度も外国を旅したが、その間もこの労働者たちは外の世界から隔絶され、工場から一歩も出ずに働き続けたのだ。
食事、住居、衣類は、生きるために必要なものである。それらを提供する働きをする工場は、さまざまな人間的要素によって成り立っている。数千人の労働者に対して、ボスはたった一人だ。
人口が多く、急成長する経済において、労働組合の不在は多くのことが見過ごされるということを意味する。一握りの人間の利益のために、大多数の人々が軽視される。これは一つの工場の問題ではない。文明の構造的な問題だ。こうした事態が起きることを許しているシステムが存在することを、社会全体で認識しなければならない。
監督兼プロデューサー。ニューデリーに生まれ、ヒマラヤで育つ。カリフォルニア芸術大学で映画とビデオを学び、美術学の学士号を取得。現在は美学・政治学の修士課程で学んでいる。関心のある題材は、距離、他者性、そして日々の生活。本作はデビュー作になる。