インターナショナル・ コンペティション |
---|
審査員 |
何をなすべきか?
What Is to Be Done?Que faire?
-
フランス/2010/アラビア語/カラー/Blu-ray(SD)/152分
監督、撮影、脚本:エマニュエル・ドゥモーリス
編集:エマニュエル・ドゥモーリス、セリーヌ・デュクルー
録音:エマニュエル・クロゼ、ジャン=リュック・オーディ
製作:ジャン・グリュオー
製作会社:レ・フィルム・ドゥ・ラ・ヴィラ
エジプト、アレクサンドリア湾近くに位置するスラム街・マフルーザ。迷路のように入り組む細い路地にカメラが入り込み、緩やかな時の流れへと観るものを誘う。あてもなく街を彷徨いながら、そこに暮らす人々と出会う日々の物語。家の浸水に悩まされる老人、夜の街で歌い踊る若者たち、モスクで説法する雑貨屋の店主、夏の終わりを迎えたビーチで海水浴に興じる人々。お茶や煙草を片手に彼らが語る人生と情熱、世界との関わり方に静かに耳を傾ける。そこには生きる歓びがある。本作は、マフルーザ5部作のうちの3番目の作品である。
【監督のことば】マフルーザの人々との出会いは衝撃的だった。あんなにも大きな恐怖と悲しみの両方と格闘する人々を、私は他にはほとんど知らない。悲惨さを体現する情景に直面すると、彼らは本来的に、そこに笑いと他者への純粋な興味を発見する。それはまるで、ベケットの戯曲の登場人物が、突然すべて笑い飛ばしてしまおうと決めたかのようだ。マフルーザの人々は、信じがたいほど強い生命力に突き動かされているように見える。それは幸福を得るための、気違いじみて創造的な才能であり、それは彼らの自由な言葉の選び方や考え方、それに仕草にも現れている。
だから私は、マフルーザの映画を撮ろうと決心し、撮影に2年の歳月を費やしたのだ。陳腐な一般化や常套句を取り払い、彼らの本当の姿が見えるようになるまでには、時間がかかった。私たちは、互いに自分のことを語った。映画について、人生についても語り合った。何カ月にもわたり、私たちは疑問や怒り、欲求をぶつけ合い、共に創りあげた自由な空間の中で、協力してこの映画を形にしていった。画面に写らないが、カメラは登場人物のひとりになり、私たちの対話が映画の中に出現していく。その過程で、私たちは「他者を見る目」というものを、改めて問い直すことになった。
この映画は5つのパートからなる年代記だ。ポリフォニー構造で描かれているために、観客は映画の複雑な世界を自由に解釈することができる。マフルーザの人々の、突拍子もない言動は私たちの予想を裏切りつづけ、それは、世界の複雑さをありのままに描きたいという私の映画作りの姿勢とも呼応している。私の映画は、混沌とした世界から目を背けたり、身を守ったりするために存在するのではない。人生とはそもそも複雑であるという真実を、正面から突きつけている。
エマニュエル・ドゥモーリス 1965年、ロンドン生まれ。パリで文学と美術史を学んだ後、FEMIS(フランス国立映画学校)に入学。演劇の演出家、俳優として活動を始め、代表作にタデウシュ・カントールの『Ô douce nuit!』への出演がある。98年、パリ近郊の石切場の歴史を描いたドキュメンタリー映画『Mémoires de pierre』を監督。99年、ヴィラ・メディチの助成金を受けて地中海地域で1年間の撮影旅行を行い、生者と死者の関係を描いた映画の素材を集める。この旅行でアレクサンドリアにあるマフルーザという場所の存在を知り、2001年に本作のプロジェクトを開始。脚本家としても活動していた縁で知り合った同業のジャン・グリュオーが本作の制作を務め、Films de la Villa社を設立。 |