インターナショナル・ コンペティション |
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審査員 |
審査員
ハイレ・ゲリマ
●審査員のことば
1984年、アフリカ映画祭に出席するため初めて日本を訪れた時、小川紳介氏から――彼の作品はUCLAで映画を学んでいた学生時代に知っていただけだった――撮影現場に遊びに来ないかと誘われた。当時、小川氏は制作手法の一部として、撮影対象である村の人たちと生活を共にし、彼らを作品作りに巻きこんでいた。映画制作にたずさわる人々の間には「映画は共同作業だ」という万国共通の決まり文句があるが、実際には昔ながらの映画産業は非常に階層化されていて、映画制作というものも独裁主義的な性質をはらんでいることが多い。小川氏がそういったものとはまったく異なる方法で現実に作品を作っているのがとても印象深かった。
また、そういう状況の中で『三千年の収穫』を上映できたのは、自分にとって大変貴重な体験となった。村の農家の人たちやそこで一緒に生活をしていた映画のスタッフたちは、私の作品に対して最も洞察力に富んだ意見や感想を述べてくれた。
小川氏もスタッフも焦って中途半端に作品を仕上げようとはしないで、ひとりひとりが制作過程のどの段階においても十分な時間を費やすよう専念していた。だが大半の映画作家、特にメジャー映画の制作にかかわる人たちは、映画が本質的に要求する技術的なプロセスに対して全身全霊を傾けることなどない。私が『Sankofa』を作った時、あるジャマイカ人が言っていたように、映画の撮影は、まるで竜巻やハリケーンが通過したときと同じような爪痕を残していくものだ。どんな撮影現場へ行っても、だれもが――単なる制作アシスタントでさえ――まるでステロイド注射を打ったみたいに、全員がトランシーバーを持ちながら興奮状態で現場の周辺を歩きまわり「私は映画だ」と自己主張している。ところが小川氏と彼のスタッフは、最初から地域の人々の中に溶けこみ、映画作家ではなく、ただの人間のままであり続けた。
今回、YIDFFに参加するにあたり、私は悲しみと嬉しさのふたつの感情の間で揺れ動いている。悲しいのは、友人であり、多大な影響を与えてきた重要な映画作家であり、本映画祭の基礎を築いた小川氏がそこにはいないから。嬉しいのは、小川氏と初めて出会った場所を再び訪問できるから。小川氏の情熱的な魂は、彼の芸術へのこだわりを継承する映画祭の審査員として私が山形に戻ることを喜んでくれているだろう。
ハイレ・ゲリマ エチオピア生まれ。アメリカで学び、奴隷貿易で世界各地に離散したアフリカ人の子孫であるアフリカ系アーティストたちと、彼らが暮らす社会との共生関係に焦点をあてたインディペンデント映画を制作してきた。作品に『Child of Resistance』(1972)『Bush Mama』(1979)『Ashes and Embers』(1982)などがある。また、歴史をもとに奴隷制に対するアフリカ人の抵抗を描いた劇映画『Sankofa』(1993)は、自主上映ながら好評を博し、その収益によってゲリマはワシントンD.C.のアフリカ系アメリカ人コミュニティの中心地にフィルム・センターを設立した。最新劇映画は『テザ 慟哭の大地』(2008)。 1975年以来、ワシントンD.C.のハワード大学で映画学の教授として教鞭を執る。 |
三千年の収穫
Harvest: 3,000 YearsMirt "Sost Shih Amet"
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エチオピア/1976/アムハラ語、英語/モノクロ/16mm/136分
監督、編集:ハイレ・ゲリマ
撮影:エリオット・デイヴィス
音楽:オーケストラ・エチオピア
音楽コーディネーター:テスファエ・レンマ
歌:ゲリマ・タフェレ
編集補:エリオット・デイヴィス、フィリップ・クレツキ―
出演:カス・アスファウ、ガーブル・カサ、ウォーケ・カサ、メラク・メコヌン、アデネ・メラク、ツァハイ・イチグゥ、 ハラブゥイン・タファリ
提供:Mypheduh Films Distribution
エチオピアの小さな村で、支配者の地主と、馬車馬のように働かされ苦しい生活を強いられる農民たち。イタリアとの戦争で地主に土地を奪われたケベベと、彼の思想に憧れる若き青年ベリフンのやりとりを軸に、農村の日常と、権力を振りかざす者への抵抗が描かれる。監督は当時、皇帝ハイレ・セラシエを追放した革命の萌芽にあった祖国でオール素人、オール・ロケーションで撮影を敢行し、フィルムをアメリカに持ち帰って本作品を完成させた。詩情あふれる語りや歌が冴える。