エマニュエル・ドゥモーリス 監督インタビュー
何を撮るべきか?
Q: マフルーザの人々を撮影するにあたって、彼らをどのように描きたかったのですか?
ED: 私にとって重要だったのは、社会的な属性をその人たちに押し付けずに映画を撮ることでした。つまり、イスラム教徒やスラム街の住人を、フランス人の私が撮る、というかたちではなく、マフルーザの人々と人間としての関係をつくり、映画を制作することを目指しました。スラムについての映画でもなければ、貧困についての映画でもない。むしろ彼らの愛についての映画にしたかったのです。彼らがなぜこの地域で生き延びることができるかというと、それは連帯感、または隣人愛とも呼べますが、互いに愛情を持ち協力しあって生きているからです。明日何が起こるか分からない生活をしている彼らと一緒にいると、先のことばかり考えている私たちよりも、幸福に見えてくるのが新鮮でした。
Q: この作品は5部作のうちのひとつということですが。
ED: マフルーザの人々と出会い、彼らが複雑な人間関係の中で生きていることが分かりました。例えば家が水浸しになり困っていたアブ・ホスニーさんという方がいます。彼のことを隣人たちは手助けしてくれますが、その一方で彼のことをいろいろからかったり馬鹿にもしています。そこにある人間関係の複雑さや曖昧さ、つまり馬鹿にしながらも助けてくれる関係を見せることが大事だと思います。説明的な編集を加えず、時間をかけてその場面を映すことで、そのふたつの感情が同時に進行しているのだということを分かってもらわなければなりませんでした。この矛盾した感情が同居している状況を理解してもらい、観客自身が彼らの状況を重ね合わせ、向き合うためにもあの場面を長くすることが必要だったのです。
さらに、人間関係の複雑さを表すには、複数の主人公たちが同時に生きていく、ポリフォニックな構造を持つ映画にするのが良いのではないかと考えました。持ち帰った映像の素材の可能性を、仲間たちと徹底的に考えた結果、さまざまな人物が交錯する5本の連作にすることに決めたのです。
Q: 『何をなすべきか?』という題名は、「何をしたらいいか分からない」という意味と同時に「何かをしよう」という前向きな意味にも感じられました。
ED: アブ・ホスニーさんは水浸しの家を見て「どうしたらいいんだ」と呟きます。今作の中での登場人物はそれぞれ、いつも「どうしよう」と考えながら生きています。ハッサンは自分が脱走兵であることで「どう行動するべきか、何をなすべきか」ということを考えています。アデルとその妻の場合は、穴のような住居のなかで生活することを強いられていて、「どのような生活をしていこう」と考えた結果、子どもをつくろうと決めました。私は、困難な状況を自分たちの意志で何かをすることによって、少しだけでも生きやすい環境に変えていくことができる彼らの行動力に、いつも心を打たれていました。
ハッサンの考える「何をなすべきか」の答えは、歌うことです。これは確かに些細なことかもしれません。しかし、自身の環境をどのように変えていくことができるかを、自分で考え、実行に移すということは、ひとつひとつの行為がたとえどんなささやかなことでも、それはすでに革命的な行為だと言えるのではないかと思います。「何をなすべきか」というレーニンの言葉を題名に引用したのは、マフルーザの人々を小さな革命家として描きたかったからなのです。
(採録・構成:市川恵里)
インタビュアー:市川恵里、鼻和俊/通訳:藤原敏史
写真撮影:勝又枝理香/ビデオ撮影:小林李々子/2011-10-09