アジア千波万波 審査員
キム・ドンウォン
●審査員の言葉
私は山形国際ドキュメンタリー映画祭を通して、ドキュメンタリーに関する多くの知識を得た。特に「アジア千波万波」の作品から、たくさんのインスピレーションをもらった。それは、「アジア千波万波」に出品する監督の考え方や製作条件が私と似ていたからだと思う。規模の大きな「インターナショナル・コンペティション」の作品以上に、「アジア千波万波」の作品からドキュメンタリーの自由さと活力を感じることができたのは、監督たちが劣悪な現実と向き合っているからなのだろう。「アジア千波万波」の作品において、技術的な完成度や大きなスケールは逆に壁になってしまうと思う。なぜならば、それらは作家の持っている真摯な問題意識や体臭を覆い隠してしまうからだ。
私的な作品が目立つ最近の傾向に対して望みがあるとすれば、作品の中に普遍性と特殊性をバランスよく取り入れてほしいということだ。よいドキュメンタリーはどんな時代、どんな場所で作られてもその限界を克服し、万人に通じるものであり、同時代の同じ空間を生きている観客にも新鮮に受け入れられるべきものだと信じている。
長い時間と労力を費やして作った作品を審査するのはとても申し訳なく、心理的なプレッシャーも感じている。しかし、アジアの若い作家の苦悩と希望のつまった自由奔放で飾り気のない作品に出会えると思うだけで、私の胸はすでに高鳴っている。
キム・ドンウォン 1980年代、商業映画の助監督を経て、ドキュメンタリー映画を撮り始める。1991年にドキュメンタリー映画製作集団、プルン・プロダクションを設立して以来、約30本のドキュメンタリーを製作、監督してきた。特に、再開発などによって都市から締め出された人たちや民主化運動、南北分断問題に関する作品を多く発表した。『上渓洞オリンピック』はYIDFF '91で上映。YIDFF '99アジア千波万波スペシャル・プログラム「つくる・見せる・変える〜日本・韓国のビデオアクティビズム」に参加。韓国独立映画協会(KIFV)の前会長。大学でドキュメンタリー映画に関する講義を行っている。 |
送還日記
A RepatriationSong-Whan Il-Gi
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韓国/2003/韓国語/カラー/ビデオ/149分
監督、編集、ナレーター、製作:キム・ドンウォン
脚本:リュ・ミレ 撮影:イ・ジウ
録音:ピョ・ヨンス 音楽:イ・ジウン
製作会社、提供:プルン・プロダクション
P.U.R.N. Production
Chonggang Bldg.3F, 343-5, Shindaebang 2-dong,
Donggiak-ku, Seoul, 156-012 KOREA
Phone: 82-2-823-9124 Fax: 82-2-823-9125
E-mail: docukdw@yahoo.co.kr URL: docupurn.jinbo.net
1992年、監督は2人の思想犯と知り合う。2人はかつて北朝鮮の政治工作員(スパイ)として韓国に送られ、逮捕された後、30年間の獄中生活でも転向しない(共産主義の思想を変えない)まま出所したのだった。当時、身を寄せる所のない彼らが近くに住むことになり、スパイのイメージとあまりに違う彼らに関心を持った監督は、以降10年以上に渡り、彼らを取材し続けることになる。キム・デジュン政権になってから、戦争捕虜を中心に思想犯の北朝鮮への召還運動が高まる。拉致被害者の家族をはじめとする右翼団体が依然召還に強く反対する中、2000年に63人の非転向思想犯がピョンヤンに帰されるのだった。
●アジア千波万波|砂と水 | 一緒の時 | 350元の子 | ホームシック | 円のカド | 迷路 | あなたはどこ? | ニュー(改良版)デリー | 予言の夜 | 150秒前 | 人生のバラード | ノアの方舟 | ハーラの老人 | 蒲公英的歳月(たんぽぽのさいげつ) | ヒバクシャ ― 世界の終わりに | 3rd Vol.2 ― 2つの光の家 | それから | 塵に埋もれて | 家族プロジェクト:父の家 | エディット | ジーナのビデオ日記 | オルド | 彼女と彼、ヴァン・レオ | ビッグ・ドリアン | 永遠回帰 | デブリ | 雑菜記 | 指月記 | 霧鹿村のリズム | ショート・ジャーニー ●審査員|キム・ドンウォン | 河瀬直美 ●アジア千波万波スペシャル|Part 1 | Part 2 |