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インターナショナル・コンペティション

シックス・イージー・ピーセス

6 Easy Pieces
- アメリカ、イタリア、ポルトガル/2000/英語、イタリア語、ポルトガル語/カラー/ビデオ/68分

監督・脚本・撮影・編集・録音・音楽・製作:ジョン・ジョスト
ナレーター:ジョン・ジョスト、エドゥアルド・アルビナティ、ジョアオ・ベナルド・ダ・コスタ
建築:ギアン・ロレンソ・ベルニーニ
提供:ジョン・ジョスト
Jon Jost
Vicolo di Santa Rufina, 50, 00153 Roma ITALY
Phone & Fax: 39-06-581-4759 E-mail: laragreen@netscape.net

ドキュメンタリー映画のほとんどは観客にメッセージを伝える。この映画にメッセージらしきものはない。ここにあるのは「映像」そのものであり、「表現」そのものである。石畳の上の子ども、射撃する女、踊る女、これらひとつひとつに意味はない。走る車が捉える夜の光の洪水、立ち並ぶ柱の幾何学美、水面のきらめき、これらはただ見るものの前に立ち現れる。デジタルビデオという、フィルムとは異質の表現媒体が提示する6つのエピソード。



【監督のことば】この映画を多くの人がドキュメンタリーだとは思わないだろうとは承知している――私の経験ではドキュメンタリーの分野とはちょっと保守的で、ちょっと思考的に固まったものだ――が、私にとってこれは間違いなくドキュメンタリーだ。この映画は様々なことをドキュメントしていて、ただやり方が少し普通とは異なっている。映像はひたすら私が通り過ぎた人生の、世界のそれであり、私に、見て、感じ、立ち止まり、驚き、その美しさを楽しもうと思わせたもの、なにかが起こるなどと思っていなかったときに見つけて驚いたものだ。ものごとをなすがままに任せ、映画を作ろうという確固とした考えもなく、どんな目的性を持った方向性の介入も、それがその場のその瞬間の直感的な魔法が小さなデジタル化された奇跡に滑り込むことに優先するのを許さなかった。私は2人のかわいらしい子どもを撮りに行こうとはしなかった――撮りに行ったのは太陽の光が歩道を横切る光景だ。私はプールで泳ぎながら話している若い女性を撮ったのではなく、シャッタースピードや踊っている光で遊んでいた。この作品でなにか目的を決めて撮りに行ったものはなにひとつない。それよりも、この素晴らしい新メディアのDVの特質のなすがままに任せた。これはほとんど金もかからず、だから遊び心に満ち、実験し、新しいさまざまなやり方で見て学び、私を導くものになってくれた。ほぼ4年間DVでいろいろなものを撮って来たと思うが、それを経てからでは、この6つのピースとそのささやかな同伴者たちは、なんの努力も要することなくお互いに引き合ってまとまって行った――まるで私にお互いの側に置いてくれと頼んでいるかのように…。

 さて、この映画だが、何を語っているのか私には見当もつかないが、何かを伝えていることは確かだ。生きることについて、私のその生きることへの見方について、光について、このメディアとそれが我々がどう考え自分自身とこの世界をどう見ているかを変えることの手助けになりえることについて。それからもちろん、『シックス・イージー・ピーセス』はそんなに簡単(イージー)ではなかった。これはほとんど40年に及ぶ時間を通して学んで来たことの集合的な表現だ。それがふさわしい形で見えていればいいと思う――つまり、目に見えない形で。

 

- ジョン・ジョスト

1963年以来経験を積んで来た映画作家で、16mmや35mmで14本ほどの長編映画を製作した後、1996年にデジタル・ビデオを手にとった。現在までに4本の長編作品をDVで製作、今後はフィルムで仕事をすることがないように希望している。本映画祭では1989年に16mm作品『プレーントーク&コモンセンス』(1987)、1997年にビデオ作品『ロンドンスケッチ』(1997)を上映。


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