燃え上がる記者たち
Writing With Fire-
インド/2021/ヒンディー語/カラー/DCP/93分
監督、編集、製作:リントゥ・トーマス、スシュミト・ゴーシュ
撮影:スシュミト・ゴーシュ、カラン・タプリヤール
音楽:タジダール・ジュネイド
整音:スシュミト“ボブ”ナート
エグゼクティブ・プロデューサー:パティ・クイリン、ヘイリー・エイドルマン
共同プロデューサー:ジョン・ウェブスター、トーネ・グロットヨルド=グレンネ
提供、配給:Autlook Filmsales
インド北部のウッタル・プラデーシュ州、被差別カーストであるダリトの女性たちが立ち上げた新聞社「カバル・ラハリヤ(ニュースの波)」。彼女たちは鉱山開発が引き起こした事件や女性たちが被る性暴力など、大手メディアでは取り上げられない重大な問題をスマートフォンを片手に粘り強く取材し、ウェブメディアで発信し続ける。差別や偏見と戦いながら屈することのないその信念は、次第に人びとの信頼を勝ち取り、大きな影響力を持ちはじめる。置かれた境遇を乗り越え、状況を動かしてゆく力強いジャーナリストたちの奮闘を描く。(NRY)
【監督のことば】インドはひじょうに複雑で、その社会は3000年続くカースト制度によって四段階のヒエラルキーに分断されている。排他的という点では人種差別と同じだが、カーストは目に見えないだけになおさらたちが悪い。カーストはそれをもつ人のアイデンティティの最深部に、生まれてから死ぬまで一生涯ついてまわるのだ。社会的な身分制度としてはおそらく世界最古であろうこの差別的習慣は、現在は非合法化されているものの、いまなお社会のあちこちにはびこっている。なかでも不可触民である「ダリト」はカーストをもつことすら許されないほど「穢れた」存在とされ、ときに上層のカーストの道を遮っただけでリンチを受けるような、世にも残忍な抑圧と暴力を日々耐え忍んでいる。だからまず、ダリトの女性であることの意味を想像してみてほしいのだ――インド社会の文字通りの底辺で何もできずに絶対的な不可視の存在とされる、その意味を。
ミーラの活動、とりわけ彼女の新聞が紙からデジタルに移行しようとしていた時期のそれに興味を引かれたのはそのためだ。私たちは、ダリトの女性たちがその声を増幅させるのにテクノロジーとインターネットをどう用いるのかを見届けたくなっていた。大半の紙媒体がデジタルメディア移行にぎこちない反応を示すなか、地方のこうした女性たちが、すでに競争力をもつ上流カースト男性に支配されたメディア業界で自身の成長戦略を描いたのだ。彼女らはダリトの女性たちへの認識を新たなものにし始めた。しかもこれはみな、生活のあらゆる局面でカースト制度の強化をもくろむヒンドゥー主義政党が、数に物を言わせてインドの世俗的民主主義を右翼ナショナリズムへと方向転換させた時期のことである。それだけにミーラと彼女のもとに集った記者たちの仕事はなおさら驚異的なものとなる――なにせ彼女たちは、ペンが(あるいはこの場合スマートフォンが)剣よりも強さを発揮するフィールドで、ゴリアテに立ち向かうダヴィデのように自分よりもはるかに大きな勢力に挑んでいるのだから。この映画は、観た人がそんなミーラの世界を内側から親密感と敬意をもって眺められる、そしてユニークかつ普遍的なその物語を身をもって体験できるような語り口をもちいている。
スシュミト・ゴーシュ
変革をもたらす社会的インパクトの創造を目指すインドの映画監督・製作者。その作品はこれまで、サンダンス・インスティチュート、Chicken & Eggs Pictures、トライベッカ・インスティチュート、Doc Society、SFF Film Fund、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭、ベルタ財団、Sørfond、フィンランド映画財団などの支援を受けて制作されている。2009年に社会正義にかかわる問題を重点的に扱うノンフィクション映画制作会社Black Ticket Filmsを設立し、その制作物は世界各地のさまざまな機関により活動支援・推進・教育ツールとして活用され、2012年にはインド映画界最高の栄誉である大統領メダルを授与された。ふたりは6年前に結婚し、現在はニューデリーと山岳地の両方を拠点とし、興趣ある本屋めぐりを満喫中。『燃え上がる記者たち』は長編ドキュメンタリー第1作となる。