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アジア千波万波


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アジア千波万波 審査員
広瀬奈々子
イギル・ボラ

作品解説:畑あゆみ(HA)、石川泰地(IT)、馬渕愛(MA)、仲井陽子(NKY)、
成田雄太(NRY)、鈴木彩子(SA)、若井真木子(WM)、矢野和之(YK)



ある旅立ちについて

 ある一人の人間の存在の大きさに気づかされるのは、その人が、当たり前のようにそこにいる時ではなく、どこか遠くへ行ってしまった、もう会えないとわかった時なのかもしれない。今、それが実感できる。

 あ、そうだ。これはドキュメンタリー映画を見る時の感覚とも似ている。

 アジア千波万波プログラムの応募作品その一つ一つには、ある人の存在を照らし、その人を映し出す作り手の世界があり、その地続きに――映像の外には――別の世界が存在する。私が直接的には知らないまたは知り得ないその無数の人たちの存在を、同じように個人的には面識のない(人が多い)ドキュメンタリー映画の作り手を通して出会い、一喜一憂する過程。それをいつも当たり前のように体験している。

 見ている私の世界とは別の時間が流れる映像の中では、その人の確かな姿は半永久的に存在してくれている。映像を通してその人に出会える。出会えたその時まで待っていてくれたとさえ錯覚してしまうこともある。その映画が続く時間のあいだは、その人とそこに描かれる世界とに関わりを持てていると信じられて、映画が終わったあと「なんて身勝手なのだろう」と罪悪感にも似たような感覚に襲われることもある。そしてふと我に帰り、個人の力ではどうしようもない(と思っている)状況を目の当たりにして、右往左往している私がいる。

 しかし、はたと気づかされる。半永久的にみえるその人の存在は、その人との出会いは、まったくもって当たり前ではなく、奇跡ですらあるのだ、と。こんなにも世界を開いて見せてくれている、その世界に迎え入れてくれている映画。そこに足を踏み入れない選択はあるのだろうか。右往左往するだけでいいわけがない。

 私は、今回オンラインを通じてしか会えない作り手たち、映画の中でしか会うことのできない人たち、それさえも叶わない人たち、その人その人に会いたくてしょうがない。もしあなたがこれを読んでいたとして、私の夢に出てきてくれるのだっていい。そして映画を通しても出会えない人たちに向かって大声で叫びたい。ここに、会いたがっている人がいるということを。どこかにあなたのことを想っている人が存在するということを。

 私は、YIDFF 2017のこの場所で、若年性アルツハイマーで闘病中の父について触れた。多分、読んだ人のほぼ100%になるだろう、父のことを知らない読者に向けて。だから、ある父の旅立ちもここに書き留めておきたいと思う。そして同じく旅立って行った、友人のことも、まったく知らない人たちのことも。その人に連なるたくさんの生と死を。ある一人がこの世に存在しそして去っていった、その当たり前の痕跡を。映画の内と外どこでもよい、その人たちの家族の記憶の中だけでなく、その存在が、どこかにひっそりと、凛と佇んでいてほしい。このカタログの1ページでもいい。そうやって誰かの胸に記憶されてほしい。

 ある人が目の前から、いつもいる場所から、いなくなった時。もう二度と会えないその地点から私は、その一人そしてまた一人の人間の存在とその記憶とともに、日常を生きている。

 映画祭は、当たり前のように映画を見せることしかできない。それが奇跡となり得るかどうかは、映画祭という場所に集まる人たちそれぞれにその可能性が託される。その瞬間瞬間に立ち会えない、当たり前が可能でない今年の映画祭。でも、もしかしたら、確かにその映画が存在し、作り手たちの身体の一部のようなその世界に生きる人たちが存在したことを、映画祭という空間に刻むことはできるのだ。

 今回の映画祭で出会えた人たち、出会う機会が奪われた人たち、これから出会う人たちへ。

若井真木子(プログラム・コーディネーター)