english
日本に生きるということ
  • 最初期の映画人
  • ニュース映画
  • 北朝鮮映画と総聯映画製作所
  • 60年代の記録
  • 70年代の記録
  • 80年代の記録
  • 90年代の記録
  • 在日の歴史
  • 時代の証言
  • 小川紳介とフィリピーナ
  • 東京の在日外国人
  • NDUと台湾人
  • 在日作家の新風
  • 韓国映画セレクション
  • 日本映画セレクション
  • 最初期の映画人


    1. 日夏英太郎=許泳(ホ・ヨン)
    2. 金井成一=金学成(キム・ハクソン)
    3. 井上莞=李炳宇(イ・ビョンウ)
    4. 宇部敬=金順明(キム・スンミョン)

     1 日夏英太郎=許泳(ホ・ヨン)

    日本では日夏英太郎、朝鮮では許泳、インドネシアではフユンという3つの名前を持つ映画監督。幻の映画『君と僕』(1941)の監督としても知られる。時代に翻弄された映画人を振り返る。


    三つの名前を生きた映画人

    - A Filmmaker with Three Names

    韓国/1997/韓国語/カラー/ビデオ/55分

    監督:キム・ジェボム(金載範)
    脚本:イ・ジョンファン
    撮影:チャン・ジョンスル、カン・ドンゴル、キム・ギョンナム、ミン・ビョンイル
    編集:ユ・ギョンサン、チャ・ジョンフン
    音楽:チェ・ジョンユン
    製作会社:新東亜パナビジョン

    植民地下の朝鮮で生まれた映画人、許泳。彼は日夏英太郎という日本名で日本の映画界に身を置いた後、植民地下の朝鮮に戻り“内鮮一体”を内容とする宣伝映画『君と僕』(1941)を監督する。その後軍属としてインドネシアに渡った彼は、映画を武器にインドネシア独立運動に深く関わっていく。これは、許泳、日夏英太郎、そしてフユンという3つの名前を生きなければならなかった不幸な時代の映画人、許泳の足跡をたどった記録である。



    - ニッポン・プレゼンツ

    Nippon Presents (a.k.a. Nippon Calls)

    オランダ/1945/英語/モノクロ/ビデオ(原版:35mm)/36分

    監督:ジャップ・スペイヤー
    編集:ペギー・グレアム・スコット
    製作:フレデリック・ダニエル
    製作委員会:オランダ領東インド諸島映画部
    製作協力:AMF、RAAF、RAF、RAN、オランダ王軍、捕虜家族の会
    提供:山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー

    オリジナル・フィルムは日本の16軍参謀部別班の製作した『豪州への叫び声』で、監督は日本では日夏英太郎の名で知られる朝鮮人、許泳であった。オーストラリア軍の捕虜が日本軍の収容所で快適に過ごしていることをアピールするための宣伝映画で、それが実際の生活とはほど遠かったことは言うまでもない。日本の降伏後、連合軍はこの『豪州への叫び声』のフィルムを押収した。そして日本軍の捕虜虐待を告発するため、捕虜体験者の証言を交えて再編集したのがこの『ニッポン・プレゼンツ』である。

     



     2 金井成一=金学成(キム・ハクソン)

    日本統治下で作られた『家なき天使』(1941)が発見され韓国で話題となった。この作品の撮影は金井成一。韓国では『誤発弾』(1961)、『アリラン』(1968)などを撮影した金学成である。


    - 2つの名前を持つ男 キャメラマン金学成・金井成一の足跡

    The Man with Two Names: Cameraman Kim Hak-seong, Kanai Seiichi

    日本/2005/日本語、韓国語/カラー/ビデオ/81分

    監督:田中文人
    撮影監督:
    長田勇市 提供:田中文人

    兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督の『誤発弾』(1961)などの作品で韓国映画史にその名を残す名キャメラマン金学成。彼は戦前、日本で「金井成一」の名前で撮影技師となり帰国。発展途上にあった朝鮮映画の向上に大きく貢献することになる。彼が育てた現在の韓国映画界の重鎮たち、また家族の証言により、歴史に翻弄されつつ闘った、ふたつの名前を持つこの偉大なキャメラマンの足跡を追う。



    - 家なき天使

    Homeless Angel

    朝鮮/1941/朝鮮語、日本語/モノクロ/35mm/73分/日本語字幕版

    監督:崔寅奎(チェ・インギュ) 原作、脚本:西亀元貞
    撮影:金井成一 編集:李翼
    録音:梁桂南 音楽:伊藤宣二、金駿泳
    装置:金貞恒 照明:崔進
    出演:金一海、文藝峰、洪銀順、金信哉 企画:金正革 製作:李創用
    製作会社:高麗映画協会 配給:東和商事 提供:韓国映像資料院

    『軍用列車』(1938)、『志願兵』(1941)などと共に韓国映像資料院が中国で発見した日本統治時代の劇映画4作品のなかのひとつ。今年のチョンジュ国際映画祭で上映、注目された。当時社会問題となった浮浪児教化事業である香隣園の実話をもとにした作品で、京城(現:ソウル)の街に溢れる浮浪児を救おうと、ひとりの牧師が郊外にある農園の少年寮で苦闘しながら子どもたちを育てる物語。当時、内鮮一体・映画報国の気運にあり、“内地”日本でも公開された。

     



     3 井上莞=李炳宇(イ・ビョンウ)

    映画を目指して日本に渡り、プロキノでは嵐玄海の名で活動した撮影の井上莞=李炳宇。日本ドキュメンタリー映画の始祖とも言うべき石本統吉の『雪国』、航空撮影のすばらしい『空の少年兵』などや、申相玉(シン・サンオク)、金洙容(キム・スヨン)作品の撮影監督としても活躍した井上の技を見る。


    - YIDFFオープニング上映
    雪国

    Snow Country

    日本/1939/日本語/モノクロ/16mm/38分

    監督:石本統吉 
    撮影:橋本竜雄、井上莞、竜神孝正、黒瀬進、成田勉
    進行:小山良夫 監修:日本雪氷協会、日本民芸協会 製作:大村英之助
    製作会社:芸術映画社 提供:新庄市雪の里情報館

    ポール・ローサの著作『ドキュメンタリィ映画』に影響を受けた大村英之助、石本統吉らの芸術映画社には、プロキノから井上莞をはじめ有能な作家が集結していた。小川紳介は、石本統吉から『雪国』の話をよく聞いたという。積雪地帯である山形県新庄に足かけ3年の長期撮影を敢行。雪と闘う農民の生活を描いた本格的な自主制作ドキュメンタリーだった。日本のドキュメンタリー映画の原点は、この映画にあると言っても過言ではない。


    - 空の少年兵

    Young Flying Corps

    日本/1941/日本語/モノクロ/35mm/37分

    撮影、編集:井上莞
    原作:岡部信次、小山良夫 助手:黒瀬近、後藤周治
    後援:海軍省 製作会社:芸術映画社 
    提供:青銅プロダクション、国立近代美術館フィルムセンター

    幼い頃から海の荒鷲を目指してきた少年たちが、全国から霞ヶ浦海軍航空隊に集ってくる。猛烈な地上訓練を経て、単独飛行から編隊飛行に、そして卒業とともに海の荒鷲となって各部隊へと出発する。決死的空中撮影を敢行した甲斐あって映画的にも評価された。戦時を生きる少年たちの姿を克明に描き、単なるプロパガンダ映画でないところが井上の力量であろう。

     



     4 宇部敬=金順明(キム・スンミョン)

    『基地の子たち』や『朝鮮の子』などのプロデューサーとして映画史に登場する宇部敬=金順明。戦後の一時期、日本の記録映画づくりに貢献した彼は北朝鮮に帰国した映画人のひとりとして記憶される。


    - 基地の子たち

    Children of the Base

    日本/1953/日本語/モノクロ/16mm/29分

    編集:亀井文夫、田中徹、富沢隆雄、神保春枝、山崎聖教
    撮影:井上莞、牛山邦一、山形周、瀬川浩、坂爪栄雄
    録音:片山幹男 音楽:原太郎 
    照明:田中光五郎、鈴木貞雄
    製作:斉藤聖香、宇部敬 
    製作会社:東京キノ・プロダクション
    提供:日本ドキュメント・フィルム

    “日本人立入禁止”の軍事基地はますます増えて700以上、その面積は四国に匹敵し、日本の児童を包囲していく。北の基地・千歳、山村の基地・山形県戸沢村、都市の基地・横須賀と立川、石川県・内灘と、それぞれの基地の現況を子どもの視点から描く。金順明のプロダクションである東京キノ・プロダクションが製作した亀井文夫監督作品で、撮影には井上莞も参加している。B班キャメラを担当した菊地(山形)周は東京キノ・プロについて「デスクがあるだけで何もない」と語っていた。



    - 朝鮮の子

    Children of Korea

    日本/1955/日本語、朝鮮語/モノクロ/35mm/30分

    監督:荒井英郎、京極高英
    脚本:京極高英、吉見泰、荒井英郎、丸山章治、朝鮮映画人集団
    撮影:大小島嘉一、清水浩 編集:岩佐寿枝、守隨房子、安田美佐子
    録音:片山幹男、大家忠男 音楽:長沢勝俊、崔東玉
    照明:浅見良二、安田伊三郎
    製作:李興烈、南日竜、南万植、金順明、安楽進、全致五、姜永根
    製作委員会:在日朝鮮人学校全国PTA連合会、在日朝鮮人教育者同盟、在日朝鮮映画人集団
    提供:朝鮮総聯映画製作所

    1952年、東京都教育委員会が「都立朝鮮人学校は、昭和31年3月31日限り廃校する」と一方的に通告。それに憤慨した同胞たちが「民族教育を守れ」と“朝鮮の子制作委員会”を組織し、金順明ら在日朝鮮映画人集団とともに製作したもの。当時の生徒の作文をもとにしており、神戸の朝鮮人のおばあさんが戦前の辛苦に満ちた生活を切々と語るシーンを盛り込むなど、差別と抑圧とともに歩んできた民族の歴史を学ぶ。