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特別招待作品


 


ミュージック・クバーナ

Música Cubana

- ドイツ/2004/スペイン語/カラー/35mm(1:1.66)/90分

監督:ヘルマン・クラル
脚本:ステファン・プフナー、ヘルマン・クラル
撮影:ユルグ・ヴィドマー
編集:ペーテル・プルズィゴッダ、ヴォルフガング・ヴァイグ、アンドレ・ベンドッキ=アルヴェス
オリジナル・サウンドトラック:マルティン・ミュラー
ライン・プロデューサー:ルーク・シラー
製作:ジョン・G・フェラン、クラウス・クラウゼン
共同製作:デトレフ・エンゲルハルト
エグゼクティヴ・プロデューサー:ヴィム・ヴェンダース、フランツ・ランダラー、ギド・デ・アンゲリス、カールステン・ブリューニク
出演:ピオ・レイバ、バルバロ・マリン、マリオ・マジート・リベラ、オスダルヒア・レスメス
製作会社:デ・アンゲリス・グループ、テルミドール・ミューズィクフェルラーグ、ヴィクトリー21・フィルムプロダクション社、ヴィクトリ−・メディア・グループ
配給(日本国内):ファントム・フィルム/ハピネット・ピクチャーズ
提供:ハピネット・ピクチャーズ

タクシー運転手バルバロがある日、有名シンガー、ピオ・レイバと衝撃的な出会いを果たした。キューバ最高の若手ミュージシャンを集めて、ピオ・レイバ指揮によるバンドを作るというバルバロの夢。はじめはまともにとりあっていなかったピオだが、息をのむような美貌と稀に見る才能に恵まれた若いヴォーカリスト、オスダルヒアに出会い、心を動かされていく。かくして、ピオとバルバロは東京での海外デビューコンサートを計画するのだった。



【監督のことば】ブエノスアイレスに住む若者だった私は、アンドレイ・タルコフスキーとヴィム・ヴェンダースの映画を観て映画監督になりたいと夢見るようになった。ヴェンダースと同じドイツのミュンヘン映画テレビ学校で学んだのは、彼の映画に触発されたおかげだ。

 そんな私が、映画の勉強を終えて数年後、ヴィム・ヴェンダースからキューバの若手ミュージシャンたちの映画を作らないかと言われた。反応は想像がつくだろう。震え上がってしまったのだ! 映画史上もっとも成功したあの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に比較されるのは目に見えている! けれども、人生が差し出すものには「イエス」と言い、ベストを尽くすべきだということを、私は学んだ。

 数カ月後、私はキューバで現代最高の若きミュージシャンたちの撮影をしていた。生活を共にし、ハバナの街を歩き、彼らの家族に会い、連日連夜音楽を聴く……。その経験のすべてを、忘れることはないだろう。

 『ミュージック・クバーナ』の撮影で特に思い出深いのは、東京でのファイナル・コンサートだ。手をたたき、踊る観客を、私は今もありありと覚えている。みんな心の底から音楽を楽しんでいたのだ! それからミュージシャンたち、とりわけピオ・レイバは、東京がお気に入りだった。彼らは葉巻片手に街を歩き回って楽しんでいたが、何と言っても、日本のビールと寿司が大好きだった!

 『ミュージック・クバーナ』がYIDFF 2005に招待されて、この上なくうれしい。1999年、『不在の心象』で山形に招かれて以来、YIDFFとは強い絆を感じている。日本の観客に初めて『ミュージック・クバーナ』を披露するのに、これ以上ぴったりの場所は思い浮かばない。映画と音楽を楽しんでもらえるようにと心から願っている。


- ヘルマン・クラル

1968年、ブエノスアイレス生まれ。1991年にミュンヘン映画テレビ学校に留学。短編作品『On the Edge』(1992)で、ブエノスアイレスのアート・ビエンナーレで最優秀賞などを受賞。『不在の心象』(1998)はYIDFF '99でロバート&フランシス・フラハティ賞を受賞。その他の作品に『The Other』(1991)、『Tango Berlin』(1997)、『Bernd Eichinger, wenn das Leben zum Kino wird』(2000)、『So ist das Leben, La Vida Es Así』(2002)などがある。