日本に生きるということ |
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80年代の記録
1 滝沢林三
『メーデー裁判』(1969)で知られる滝沢林三が『江戸時代の朝鮮通信使』に続き辛基秀(シン・ギス)らと描いたもの。日本国家による同化政策が進むなかで、本名で生きることの意味を問う。
이름(イルム)・なまえ 朴秋子(パク・チュジャ)さんの本名宣言
The Announcement of Park Chu-ja's Real Name-
日本/1983/日本語/カラー/16mm/50分
監督、脚本:滝沢林三 撮影:高岩仁
録音:佐々木昌彦 語り:伊藤惣一
企画:映画「이름(イルム)・なまえ」製作実行委員会
製作:辛基秀 製作会社:映像文化協会
提供:映画「이름(イルム)・なまえ」製作実行委員会
在日朝鮮人二世の朴秋子さんは大学でヴェトナム反戦の運動に加わり、自治会委員長の日本人と愛し合うようになった。さんざん悩んだあげく「私は朝鮮人なんです」と打ち明け本名宣言を行ったが、就職試験では本名の故に拒否された。「朴秋子問題を考える会」の運動の輪が広がるなか、その民族的自立への歩みを描くべく『江戸時代の朝鮮通信使』(1979)と同じスタッフ(辛基秀、滝沢林三、高岩仁)が取り組んだ作品。
2 呉徳洙(オ・ドクス)
大島渚の創造社での助監督を経てOH企画を設立、差別・人権問題の映画を作り続ける呉徳洙。在日外国人に対する差別と管理の象徴である外国人登録法の指紋押捺制度に対する拒否運動を描く。
指紋押捺拒否
Against Fingerprinting- 日本/1984/日本語/カラー/16mm/50分
演出、構成:呉徳洙(オ・ドクス)、三室勇
撮影:篠田昇、伊藤昭裕、梶原春雄、柴崎幸三、石井浩一 編集:清水千恵子
録音:本田孜、福田和夫、松本修 ナレーター:戸浦六宏
製作:飯島茂、久米谷千恵子 製作委員会:『指紋押捺拒否』製作委員会
提供:OH(オー)企画
在日外国人に対する差別と管理の象徴である外国人登録法の指紋押捺制度に、“拒否”を貫徹した韓宗碩(ハン・ジョンソク)さんに東京地裁は1984年8月29日有罪判決を下した。その日からカメラは回り始める。制度が導入された歴史的経緯と実施の実態を明らかにする一方、それぞれの拒否者がなぜ指紋を押さないのかを語り、制度の“反人権”性を訴える。80年代に大きなうねりとなった拒否運動は“在日の現在”への問いであり、“日本の現在”への問いでもあっただろう。
3 渡辺孝明
小川プロ出身で『1981寿ドヤ街 生きる』(1981)などで知られる渡辺孝明も指紋押捺拒否を描いた。在日の若者たちの訴えは「日本という国で、共に生きられる社会にしたい」という至極当たり前なものだった。
1985川崎 熱い街
Kawasaki, 1985: A Town on Fire- 日本/1985/日本語/モノクロ/16mm/44分
監督、撮影:渡辺孝明 録音:藤田重雄 現地録音:松本多津
音楽:関口孝 製作:吉田悦子 提供:シネ・アルファ
当時、川崎にある保育園の主事だった李相鎬(イ・サンホ)さんが、外国人登録法に定められた指紋の押捺を拒んで逮捕されたことをきっかけに撮影された。二世、三世を中心に始まった指紋押捺拒否運動は、オモニたちを揺り動かす。息子、娘世代の主張に啓発させられたオモニたちは、日常隠していた本名を名乗り、指紋の押捺を拒み、秘めてきた人生を語り、自らの生活を投げ出したのだった。