庭園に入れば
Once I Entered a GardenPa'am Nikhnasti LaGan
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フランス、イスラエル、スイス/2012/ヘブライ語、アラビア語/カラー/Blu-ray/97分
監督、脚本:アヴィ・モグラビ
脚本、音楽:ノーム・エンバー
撮影:フィリップ・ベライシュ
録音:フロリアン・エイデンベンズ
編集:ライナー・M・トリンクラー、アヴィ・モグラビ
歌:ダカルト・マッラ・ゲネイナ
製作:セルジュ・ラルー、サミール、アヴィ・モグラビ
製作会社: レ・フィルム・ディシ、アヴィ・モグラビ・フィルムス、ジョイント・ヴェンチャー・フィルムプロダクション
配給:ドック・アンド・フィルム www.docandfilm.com
イスラエルの状況を多様なアプローチで見据えてきた映像作家アヴィ・モグラビが、長年の友人であるパレスティナ人のアリ・アル=アズハリとともに出自をふりかえり、政治情勢に翻弄された故郷の在りようをたどる。かつては共存し、境界すら存在しなかった地の記憶は、差し挟まれる愛人たちの手紙によってさらに鮮明なものとなる。ウィットに富んだふたりの会話の合間に「アラブの春」のニュースがテレビから流れる――。激動期に入った中東に対する思いがこもった作品だ。
【監督のことば】当初、私は本作とはかなり違った映画を撮るつもりだった。私の父にはベイルートで育ったいとこがいたのだが、イスラエルが建国されレバノンとイスラエルが敵対国家になったとき、彼はまだ若者だった。彼は新たに設定された国境により、ベイルートー─テルアヴィヴの往来ができなくなるという新しい状況を、きちんと理解し実感することができなかったようだ。彼は、まだ分断などされていないかのように、中東とのつながりを保ち続けた。1950年代初頭、彼はベイルートから行方をくらますと、テルアヴィヴに現れ、イスラエル軍に入隊した。数ヶ月後、イスラエル軍から姿を消すと、まるで何事もなかったかのように、ベイルートの元の生活に戻った。数年後の1960年代初頭、またも彼はテルアヴィヴへ小旅行をして帰国した。
私は、こうした敵対国間を往復することの不可逆性というものを受け入れず、あるいは理解できないこの人物の話に驚かされた。開かれた中東で育ち、敵対国間の境界を認めるのをよしとせず、新しいルールを受け入れない者の発想に私は魅了された。
当初『ベイルートへの帰還』と題した映画の構想では、この父のいとこの人生をもとに、今や国境で分断された母国の2つの地域をさすらった時間を想像して演出する予定だった。その映画ではアラビア語を使う手筈だったため、私は自分のアラビア語の教師アリ・アル=アズハリに脚本の共同執筆を依頼することに決めた。しかし、まず私の家族の物語を彼に話さなければならず、彼はお返しに自分の家族の話をしてくれた。そういった次第で、ご覧いただく映画では、父のいとこは登場の機会を失い、彼に代わり私たち2人が、分断された中東をタイムトラベルすることとなった。
1956年、イスラエル生まれ。映画作家、ビデオ・アーティスト。テルアヴィヴ大学で哲学を、ラマット・ハシャロン・アート・スクールで美術を学ぶ。1982年から、イスラエル内外の数々の長編映画およびコマーシャルでチーフ助監督をつとめた。監督初作品は『国外追放』(1989)。『わたしはいかにして恐怖を乗り越えて、アリク・シャロンを愛することを学んだか』(1997)、『ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ』(1999、YIDFF '99インターナショナル・コンペティション優秀賞)、『8月、爆発の前』(2002)はベルリン国際映画祭で、『二つの目のうち片方のために』(2005)はカンヌ映画祭で上映。その他、『アット・ザ・バック』(2000)、『待って、兵士たちが来た、もう電話を切らなきゃ』(2002)、『Z32』(2008、YIDFF 2009インターナショナル・コンペティション優秀賞)などの作品がある。