ジプシー・バルセロナ
Bajarí, Gypsy BarcelonaBajarí
-
スペイン/2012/スペイン語/カラー/Blu-ray/84分
監督、脚本:エヴァ・ヴィラ
撮影:ホアン・ティスミネツキー
編集:エルネスト・ブラージ、ヌリア・エルクェラ、ヴィクトル・コッサコフスキー
美術:カンディド・アルヴァレス
進行:マリオーナ・クラヴェリア
音響:フアン・サンチェス
録音:ナチョ・オルトゥサール、フランセスク・ゴンサウヴェス、マルコス・カサデムント
製作補:エヴァ・セブリアン
製作総指揮:ホルディ・アンブロス、ホルディ・バジョ
製作:トノ・フォルゲラ、オリオル・イヴェルン
製作会社、配給:Lastor Media www.lastormedia.com
バルセロナのジプシー社会にとって、フラメンコはどのような意味をもつのだろうか。伝説的なダンサーを叔母にもつカリメ・アマヤは、超絶技巧の足さばきをステージで披露し、観客の目を釘付けにする。フアニートはまだ幼いながら軽やかな身のこなしで、街角にくつろぐ市民を魅了する人気者だ。フラメンコの伝統はバルセロナの人々の誇りであり、その技は厳しくも温かい視線によって、世代から世代へと大切に受け継がれている。
【監督のことば】前作のドキュメンタリー『B-Side』を撮影中、私たちはある目に見えないコミュニティを発見した。彼らは血統で結ばれた音楽家の集団であり、共通点はただひとつ、それはライフスタイルとしての音楽に対する強い信念だ。彼らはこの信念によって、音楽家のコミュニティというひと回り広い世界とも結びついている。
本作は、この「強固なコミュニティに帰属する」という感覚に迫ろうとしている。ここに登場する強固なコミュニティ、カタルーニャ・ジプシーについては誰もが知っているが、その存在はまるで幽霊のようだ。ジプシーの街としてのバルセロナ、すなわちBajarí(バハリ)がまだ街角で生き続けていることを知る人は多くない。
近頃は、ジプシーがバルセロナの街をバハリと呼ぶことを知る人もほとんどいない。だが何層にも重ねられた足跡の下には、異なる現実が隠れている。観光客や市民が全く知らない、もうひとつのバルセロナだ。バハリは同じ姿のまま、長いこと生き残ってきたひとつの街であり、時の移り変わりによって変化はあっても、その魂は変わらない。街のアイデンティティは何世代にもわたり受け継がれたひとつの芸術様式であり、パフォーマーたちがその様式を守り抜いてきたからだ。
この作品で私たちは、今ここにあるバハリを探し、そして「帰属」という普遍的なテーマにつながる物語を見つけた。カリメ・アマヤはメキシコでの生活を捨て、国際的なダンサーという現在の彼女をつくった芸術家の遺伝子を発見する旅に出た。5歳のフアニート・マンザノの旅は、自分が生まれたジプシーのコミュニティでダンサーになりたいという一途な願いから始まる。カリメとフアニート、バルセロナに存在するフラメンコとルンバの世界という地平で、ふたりの発見の旅が展開していく。
「誰かの子どもである」ことがここまで重視される芸術、そして自分の文化、自分の技芸、自分が祖先から継承したものを最も自然な形で表現し、その表現を通してありのままの自分を伝えることがここまで重視される芸術は、おそらく他に存在しないだろう。『ジプシー・バルセロナ』は生の歓びを歌う。ルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』のような、神話的な映画の精神を継承している。それは、何かに帰属しているという意識から生まれる歓びであり、現代社会では存在が希薄になっている「自分の起源」のすぐ近くにいることから生まれる歓びだ。
1975年バルセロナ生まれ。映画監督、作家。長編映画第1作の『B-Side』(2008)は世界各地の映画祭で上映されている。正式に音楽の訓練を受け、芸術批評の修士号を持つ彼女は、カタルーニャ人の作曲家ジョセプ・ソレールを描いた『Personal Space』(2009)など、多様な芸術と映画を結びつけた視覚芸術的な作品を生み出してきた。2003年からバルセロナのポンペウ・ファブラ大学のクリエイティブ・ドキュメンタリー修士コースでコーディネートを担当。ホアキン・ホルダ、ホセ・ルイス・ゲリンといった一流ドキュメンタリー映画作家と協力して同コースのプロジェクト開発に尽力している。