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ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ
Happy Birthday, Mr. Mograbi

イスラエル、フランス/1999/ヘブライ語、アラビア語、英語/カラー/16mm/77分

監督・脚本・編集・録音・製作:アヴィ・モグラビ
撮影:エイタン・ハリス、ロン・カッツェンネルソン、イツィック・ポルタル、ヨアヴ・グーフィンケル、オデッド・キムヒ、ヨアヴ・ダガン
共同製作:セルジュ・ラルー(レ・フィルム・ディシ)
提供:アヴィ・モグラビ
配給:ディー・ネット・セールス (
d.net.sales)
Karwendelstr. 21, 12203 Berlin, GERMANY
Phone: 49-30-84306168/ Fax: 49-30-84306167
E-mail: majade@t-online.de



アヴィ・モグラビ
Avi Mograbi


1956年イスラエル生まれ。1979年から1982年にかけて、テル・アヴィヴ大学にて哲学を、ラマット・ハシャロン・アート・スクールにて美術を学ぶ。1982年以降は、イスラエル内外の数々の長編映画およびコマーシャルで第一助監督をつとめている。監督初作品は『Deportation』(1989)。その他の作品に、『The Reconstruction』(1994)『How I Learned to Overcome My Fear and Love Arik Sharon』(1997)『Relief』(1999、ビデオ・インスタレーション作品)、脚本家として『A Tale That Starts With a Snakes Funeral』(1993)がある。

イスラエルという国は、世界が注目するパレスティナ問題の対応に見られるように現実的な政策判断の結果 によって、たえず政治、社会が流動的に変化をしていく国である。対立する労働党と保守党、それに宗教政党が決める国政は、その政治的、宗教的理由から自国のみならず国際的にも大きな影響を及ぼす。1948年の建国後に生まれた国民にとってイスラエルの過去、現在、未来はどのような意味を持つのだろうか? 本編で自作自演を兼ねるアヴィ・モグラビは撮影時、42歳のドキュメンタリー映画作家である。彼は仕事で母国の建国50周年記念の映画製作を依頼される。それと同時に彼はパレスティナ人からも彼らの視点によるイスラエルの裏面 史ともいえる記録映画を依頼されてしまう。ユダヤとアラブ。彼の立場は複雑である。それは2つの映画を撮る事によって、逆に彼がそれらの映画を撮る自分とは何か?という矛盾に直面 するからである。イスラエル人にとって創作は即、政治的意味を持つのだ。自国の歴史と自分史を映画製作という方法で問い直すことによって、そこに新たに現れてくるイスラエルの顔、諸問題、そして断層が浮き彫りにされる。斬新で迫力に満ちた新しいタイプのプライベート・ドキュメンタリーであると同時に自由奔放、 多種多様な発展をしていく今のイスラエル映画の可能性が凝縮されている。 [渡部実]

【監督のことば】
1997年、私の誕生日の2日前がイスラエルの独立記念日だった。(イスラエルの独立記念日は月齢に基づくヘブライ暦で決められているため、毎年、同じ月日ではない。)私はちょうどニューヨークにいたので、誕生日を2日遅れの独立記念日に祝った。この偶然が『ハッピー・バースデー、Mr.モグラビ』の核となる発想を生むことになった。1998年、イスラエルは建国50周年を迎えた。本当の誕生日は10日後だったのだが、私は自分の誕生日をその同じ日に祝うことにした。
並行するふたつの物語を語る、というのがもとのアイディアだった。ひとつめは、ヨベル安息の年を追ったドキュメンタリー作りについて。ふたつめは、国家生誕と自分の誕生日が偶然にも同じ日である映画作家─私自身─がこのドキュメンタリーを作りながら経験する中年期の危機について。
数ヶ月間、このアイディアについてあれこれ考えながらも、何かひっかかるものを感じていた。気がついてみれば、ふたつの記念日だけを記録することは不可能なのだ─3つめの記念日、パレスティナ破局の50周年であるナクバをも記録しなくては。そこで脚本の第3の回路が形をとりはじめた。この物語においては、パレスティナ人プロデューサーが同じ映画作家を雇い、パレスティナ人たちがナクバを記録するための映画の撮影をさせている。
彼がパレスティナのプロジェクトのために撮影する素材は、(観客が見る“最終形の”)映画を混乱させる。荒れ果 てたパレスティナの家々やパレスティナの村々の廃虚のショットが前触れもなく画面 を占拠する。
私が作りたかったのは、1人の男の意識をとおして展開する、3種の異なる物語から構成される映画だった。いつもよりも自由なのは素材だけ。しばらくは脚本にそって動いているが、そのうち勝手に出来事の順番をなしていく。そしてあわれな映画作家は、新たな事態に対処しなくてはならない。
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