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  • 審査員
    ヌリット・アヴィヴ


    -●審査員のことば

     私が初めてアジア映画を発見したのは1990年代前半、エルサレム映画祭でのことだった。既にパリでアジアの映画は何度か観て魅了されてはいたが、まとまったアジア映画に接する機会はこれが初めてだった。魅惑された私は、結局長い間劇場で観続けていた。

     それぞれの作品は多彩であり、私の心の琴線に触れた。モダンでミニマルで、ほとんど抽象的な物語性、リズム感、色合い、照明、フレーミング、ロングショット、そして沈黙……。全てが私の教えられてきたことからほど遠く、同時にとても近しい、新しい映画文法が表現されていた。

     劇映画であろうとドキュメンタリーであろうと、私が興味を持つのは情熱的な物語の背後にある、リズム、隠された音色なのだ。

     今回は山形へ招かれ、さまざまな人生を歩んできた審査員たちの仲間に加わることができて嬉しく思っている。最も優れた映画、最も優れた映画的言語で語る作品を選ぶという、この不可能な使命を達成するのはさぞ大きな冒険になるだろう。


    フランス初の劇映画の女性撮影監督として、アニエス・ヴァルダ、アモス・ギタイ、ルネ・アリオ、ジャック・ドワイヨンらの監督のもと、フィクションやドキュメンタリー映画を100本以上撮影してきた。自身で監督したドキュメンタリーは『Kafre Qara, Israel』(1989)、『Circumcision』(2000)、 『Loss』(2002)、『Sacred Language, Spoken Language』(2008)など8作品ある。撮影監督としてのキャリアは1967年に始まり、ヴァルダの『ダゲール街の人々』(1975)、『歌う女、歌わない女』(1977)、『アニエスV.によるジェーンB.』(1987)など。ギタイ作品は『フィールド・ダイアリー』(1982)、『ゴーレム、さまよえる魂』(1992)、『エルサレムの家』(1998)、 『ラシュミア谷の人々―この二十年』(2001)。エイヤル・シヴァンの『Jerusalem, Borderline Syndrome』(1994)、アナット・ズリアの『純粋なるもの』(2002、YIDFF 2003)、ミーラー・ナーイル、クロード・ベリ、ウィリアム・クラインらの監督作品も手がける。


    言語から言語へ

    From Language to Language
    Misafa Lesafa

    - フランス、ドイツ、イスラエル/2004/ヘブライ語/カラー/ビデオ/55分

    監督:ヌリット・アヴィヴ
    撮影:フィリップ・ベライシュ 
    録音:テュリ・ヘン
    編集:ミハル・ベン・トヴィム、フィリップ・ブーク、ガリット・ワインベルグ
    リサーチ:シャニ・リットマン
    音響編集:ブノワ・ド・クレーク
    製作、提供:フレデリック・リュジー
    共同製作:マレク・ローゼンバウム、イタイ・タミール、リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ
    製作会社:スワン・プロダクション、トランスファックス・フィルムズ、デリーヴ

    幾世紀もの長きにわたり、聖なる言語、つまり聖典と祈りの言語であったヘブライ語が、現在イスラエルの日常生活で使われるようになっている。しかし、たった数十年で共通語として君臨するようになったということは、以前話されていた言語に対して暴力的な措置が取られなかったというわけではあるまい。9人の詩人、作家、歌手、俳優が自身にとってのヘブライ語と、幼年時代の母語との関係について語る。それは、もはや消えていたとしても、いまだ音色が胸で鳴り続ける、子ども時代の言語へのオマージュである。